発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

そんなあなたにできることがありますよ。青木

 

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小学校3年の時に、同級生に後頭部をナイフの様な鋭利なもので何度も刺されて、救急車で病院に運ばれた。

それから学校には怖くて行けなくなった。

 

 

転校するために4年の新学期が始まる前に違う街に引っ越した。

でもまたいじめられた。

 

 

僕には当時ひどいアレルギーがあって、マヨネーズや鯖の匂いを嗅いだだけで、全身の皮膚の色が赤茶色になって、唇がひどく腫れた。

そんな僕の姿を見たくて、クラスメイトは昼食後の休憩の時間に羽交い締めにされた僕の顔目掛けて、給食で余ったマヨネーズを浴びせた。

 

 

発作が起きて呼吸ができなくなり、救急車で運ばれて数日入院した。

 

 

中学校でも学校に通うことは正直とても辛かった。

なんとか頑張って登校していた。

でも、中3の2学期で頑張りが続かなくなって学校に行けなくなった。

 

 

最初に入学した高校は、中退者が多く出て、3年間で1つのクラスがなくなるような高校だった。

6月までは頑張って通っていた。

 

 

1年遅れてでも、高校に行きたかったので、頑張って勉強して、1年遅れで違う高校に入学した。

入りたかった高校だったので、とても嬉しかった。

 

いじめがない素晴らしい高校だったけれど、みんなとのコミニュケーションがうまく取れなくて、結局、孤立してしまい高校に行けなくなってしまった。

 

 

大学にも挑戦して合格したが、5月の連休後に大学に通えなくなった。

大学に行くのが怖くなったため。

みんなは友達がいるのに、自分だけがひとりだった。

 

 

そんな自分を周りのみんなは笑っている。

心の底で馬鹿にしているんだろうな。

 

 

服装がおかしい。

体臭が臭い。

動きが変。

 

あいつら俺を見て笑っていた。

早くここから逃げ出さなくては。

駅のプラットホームで電車を待っていると、きっと背中を押されてホームに落とされるだろうなと感じていた。

 

 

もう怖くて電車には乗られない。

家で雨戸を閉め切って、じっとしていたら、家の前を通りがかる子どもたちが笑っている声が聞こえた。

小学生までもが、自分のことを笑っている。

 

 

 

図工、技術、美術の課題は1度も時間内に提出できなかった。

運動会、避難訓練の集団行動は一人だけ、皆んなと違う行動をとってしまって、拡声器で「おい、お前だけがひとり違っているんだよ。みんなの迷惑だろうが。」

 

もうだめだと思った。

こんな人間は社会にいてはみんなの迷惑になるから、この世から消えようとした。

幸い、見つけてくれた人がいて、命は助かった。

 

 

あれから40年が経つ。

今でも、小学校の正門前で手足が震えて、前に進めない夢を時々見る。

 

「そんなあなたにでもできることがあるよ。」と牧師先生が話してくれた。

「あなたは、そのような子どもたちに仕えるのはどうかしら。それが神様があなたに望んでいることではないかしら。」

 

こんな僕にでも望まれていることがある。

それを聞いただけで、僕は生きていけると思った。

 

 

そう言われて35年間、同じことを続けている。

死にたいと思ったことは一度もない。

 

 

いじめられて、不登校になって、ひきこもった僕の人生。

これはこれで良かったんだと思える僕がいる。

 

 

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