発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

不登校だった悲しみは消えることはない。青木

 

僕は小学校3年でひどいいじめを受けたことで、両親が心配してかなり離れた街に引っ越してくれました。

 

 

ひどいアレルギーがある僕は、発作が起きると呼吸困難になりとても危険な状況に陥ることになります。

いじめられたことで引っ越した先の小学校でも、また発作を起こし呼吸困難になって入院となりました。

そのことで新しい小学校にも行けなくなってしまった。

 

 

中学ではいじめはなくなったけれど、学校生活でクラスの生徒とどう関わっていいのかわからなくなり、そのことで不安が大きくなってしまい中学3年の夏休み明けから不登校になってしまいました。

 

 

高校は最低ラインの高校に入ったのですが、その高校でも集団リンチにあい怖くなってその高校を1年の秋で辞めてしまいました。

 

 

翌年新しく高校を受け直しました。

1年遅れで入学した高校は、進学校でしたので高校の雰囲気はとても良かったです。

初めていじめられないと感じました。

 

 

それどころか短期間ですが高校生活を謳歌できたのです。

部活に勉強に恋にと高校生活を3年間謳歌する予定でした・・・。

勉強は問題ありませんでした。

問題はやはり人と関わることが苦手だったことです。

 

 

特に昼休みの時間が苦痛でした。

周りは仲が良い人たち同士で集まるのです。

僕はどの輪の中にも入れませんでした。

 

 

入ろうとしたのですが、会話についていけなかったのです。

みんなが楽しそうに会話しているのに、僕もそうしたいのに・・・。

どうしたらみんなと楽しく会話ができるのか?

 

 

僕にはわかりませんでした。

高校1年も夏前になりますと、あちらこちらにカップルができます。

秋が深まる頃には、僕だけがクラスの中で孤立していることがはっきりとしてきました。

 

 

次第に学校に行くことが怖くなりました。

それと同時に勉強をすることもできなくなりました。

どんどん自分を追い詰めていった僕は、この世から消えてなくなるしかないと思い、実行したのです。

 

 

幸い、命を落とす前に発見されました。

しかし、僕の不安は減ることもなく、着実に増えていきました。

どんどん同世代との差が広がっていることは、自分が1番よくわかっていました。

 

 

でも、もうどうすることもできなかったのです。

誰かに助けを求めることもしませんでした。

こんな僕を助けてくれる人なんて、この世の中にいないと思っていたから。

 

 

こんな話をテルさんにすると、いつも彼は泣くのです。

「寂しかったですよね。誰も僕たちが抱えている問題に気づいてくれないから。」

そう言って泣くのです。

 

 

「青木さんは、まだ良いですよ。高校で少し良い思いができたんだから。僕には何もないんですよ。何もない。」そう言ってまた泣くのです。

 

 

「僕たちは学校に戻りたかった。それだけなんですよ。」

 

 

テルさんがそう言って、僕もまた泣いてしまうのです。

もう来月で60才になるというのに、いまだに不登校だった悲しみは消えることがないのです。

 

 

 

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