発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、テルとエイジとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

「死ぬしかない」と思った夜、1通のハガキを思い出した エイジ

この団体のスタッフ青木さんが、自宅にやって来ました。

でも、私は「会ったって何の意味もない」と思い、顔を出しませんでした。

翌週、また来ました。
それでも会いません。

その次の週も、また来ました。

いい加減、イライラしてきました。
玄関先から、母親が「本当に申し訳ありません……」と頭を下げている声が聞こえます。

勝手に押しかけてきているのは向こうなのに、なんで母親が謝らなきゃいけないんだ。
苛立ちと怒りがどんどん募っていきました。

その2日後、青木さんからハガキが届きました。

そこには、青木さん自身の過去が書かれていました。
不登校で、引きこもりで、自分の部屋から出られなかったこと。
今振り返ると、人の目が怖くて外に出られなかったのだということ。

『エイジさんも、同じではないですか?
やり直す方法を、具体的に伝えたいです。
無理やり外に連れ出すようなことは絶対にありませんから。
よかったら、いつでも連絡をください』

「ああ、もう直接家には来ないんだな」
そう思って、私は胸をなでおろしました。

それから、1ヶ月ほど経ったときです。

どうしようもないほどの強い不安に襲われました。
「死んでしまいたい」
「いや、もう死ぬしか道はないんじゃないか」

そんな真っ暗な思考が頭の中を支配して、大声を上げたり、壁を力任せに叩いたりしないと、耐えられない状態でした。

限界でした。
その時、青木さんのハガキを思い出したのです。

もう一度、ハガキを読み返しました。
そして気づいた時には、電話をかけていました。

「あの……やり直せるというのは本当ですか?
私でも、まだ大丈夫なんでしょうか……」

後になって青木さんから聞かされた言葉です。私自身は、パニックと必死さで何を話したのか全く覚えていませんでした。

青木さんは優しく言ってくれました。
「電話をくれてありがとう。いつでも会いに行くからね」

「明日、来てください」とお願いすると、
「いまフィリピンにいるんだ。すぐに明後日のチケットを取って飛んでいくからね」と。

そして本当に、2日後に自宅へ駆けつけてくれました。
ここから、私の支援が始まりました。

その後のことについては、また少しずつ書いていきたいと思います。

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「30年ひきこもった私が、支援につながった日のこと」 エイジ

息子は高校を一年で辞め、その後アルバイトに数回行ったきり、自宅でオンラインゲームをしたり、サイトで参加者と話したりしています。時々、大声で話していることが心配ですが、家族以外の誰かと繋がっていることを考えると、やめなさいとも言えません。

来年で30歳になります。このままでは、あっという間に40代、50代になってしまうのではと思うと、不安で眠れない日々です。

30年ひきこもったエイジさんは、どのように支援につながり、結婚、そして就労まで漕ぎ着けたのか、詳しく教えてください。

ご相談ありがとうございます。

私もひきこもっていた頃は、毎日のように将来への不安が押し寄せてきていました。それでも30歳くらいまでは、「そのうち何とかなるだろう」と考えることで、その不安を打ち消していたように思います。

しかし、30歳になっても何も変えることができませんでした。そして40歳が近づく頃には、「もう自分はダメなんじゃないか」という気持ちが、だんだん大きくなっていきました。

もちろん、その間、何もしなかったわけではありません。公的機関の人が訪問してきたこともありましたし、就労支援を受けたこともありました。自分なりに何とかしようとした時期もありました。

でも、うまくいきませんでした。

そんな私が今の団体の支援につながったのは、今から12年ほど前のことです。

きっかけを作ったのは母でした。母が青木さんに相談し、その後、私宛てに「よかったら一度訪問させてください」という内容のハガキが届きました。

そのときの私は、「来るなら勝手に来ればいい」というくらいの気持ちでした。

それから数日後、母から「明日、青木さんという人が来るけど、嫌なら断るよ」と言われました。

でも、私は何も答えませんでした。会いたいとも、会いたくないとも言いませんでした。

というより、その頃の私には、もう答えるだけの気力さえ残っていなかったのだと思います。

 

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本人の本当の気持ち 青木

 

「この先、この子はどうなってしまうのだろう」

「私の育て方が悪かったのだろうか」

「本人が何を考えているのか、わからない」

不登校やひきこもりのお子さんを前に、そんな思いを誰にも言えず、一人で抱えている親御さんは少なくありません。

何とかしてあげたい。
でも、どう接したらいいのかわからない。

私たちは、そんなご本人やご家族に寄り添い、長年、支援を続けてきました。

このたび、私たち支援団体に関わる4人で、ブログやSNSを通じた情報発信を始めます。

支援の現場では、

「本人が何を考えているのかわからない」

「どう接したらいいのかわからない」

という声を、ご家族から何度も聞いてきました。

そこで、長いひきこもりを経験した当事者、40年間子どもたちを見守ってきた養護教諭、40年間ご家族に寄り添ってきた支援者、それぞれの立場から経験や思いをお伝えしていきます。

発信する4人のメンバー

■ 東大

東大卒で、約30年にわたってひきこもりを経験してきた当事者。

ASD(自閉スペクトラム症)の特性が強く、長いひきこもり生活の中で何を考え、何を感じていたのか。

「当時の本当の気持ち」を伝えていきます。

■ エイジ

ASD(自閉スペクトラム症)の特性が強く、約30年にわたってひきこもりを経験してきた当事者。

人との関わりづらさや、家族や周囲とのコミュニケーションの難しさなど、自身の経験をもとに伝えていきます。

■ あつこ先生

養護教諭として40年間。特別支援教育士として20年。子どもたちと親御さんを見守り続けてきた教育・ケアの専門家。

長年の経験から、子どもの心と身体のSOSや、その受け止め方について伝えていきます。

■ 青木(私)

自らも当事者でありながら、40年間、現場で個別支援を続けてきました。

私たちの支援には、決まった型も、画一的なプログラムもありません。

一人ひとりのペースや特性に合わせた「完全オーダーメイドの個別支援」で、本人が心から望む目標に向かって、まるで家族のように同じ目線で寄り添い続けます。

歩む速さは人それぞれ。
支援が数年から10年以上に及ぶこともあります。

このブログでお伝えしていくこと

「部屋に閉じこもっていたとき、
本当は何を考えていたのか」

「親にどう接してほしかったのか」

「どんな言葉が苦しく、
どんな言葉に救われたのか」

そんな、長いひきこもりを経験した当事者だからこそ語れる「本当の胸の内」をお伝えします。

そして、40年の養護教諭としての経験、40年間ご家族に伴走してきた支援者としての経験から、子どものSOSの受け止め方や、具体的な支援についてもお伝えしていきます。

不登校やひきこもりには、一人ひとり違う背景があります。

「こうすれば必ずうまくいく」という答えはありません。

だからこそ、本人の気持ちとご家族の気持ち、その両方を大切にしたいと考えています。

もし今、

「どう声をかければいいかわからない」

「本人の気持ちがわからない」

「このままでいいのだろうか」

と悩んでいる方がいらっしゃったら、ぜひ読んでみてください。

「うちの子も、こんな気持ちなのかもしれない」

「私だけが悩んでいるわけではなかったんだ」

そう思えるものが一つでもあれば幸いです。

どうか、ご家庭だけで抱え込まないでください。

これから4人で、きれいごとだけではなく、うまくいかなかったことも含めて、できるだけ率直にお伝えしていきます。

どうぞよろしくお願いいたします。

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ASDの僕が探す「疲弊しない関係性」 東大

ASDの特性を無理に薄めて「普通」を装って結婚するのではなく、その特性を抱えたまま、お互いが心地よく成立する関係性をどう築くか。
それが、僕にとって最も大切な問いです。

かつて、「この人となら」と結婚を真剣に考えた相手がいました。
僕の特性をそのまま受け止めようと心を砕いてくれた女性でした。

しかし、善意や愛情だけでは埋められない溝がありました。
言葉の意図を察し合うこと、曖昧な空気を読むこと、生活の細かなリズムのズレ――。
相手が想像していた以上に僕のこだわりや特性は深く、相手は我慢を重ねた結果、彼女の受け入れられる許容範囲を超えてしまったのです。

「自分のような人間を受け入れてくれる人など、この世にいないのではないか」

そう絶望し、一人で生きていく覚悟を決めた時期もありました。
それでもどこかで、「暗黙の了解」に頼らず、思ったことをストレートに言葉で伝え合う文化や価値観を持つ人となら、無理なく息ができるのではないかという希望もありました。

発達障害の方々の個別支援に長年携わってきた、この団体のスタッフ青木からも率直な助言を受けました。
「いわゆる一般的な『察し合い』を前提とした関係性の中では、どれだけ相手に理解があっても限界がくる。大切なのは相手に耐えてもらうことではなく、お互いが疲弊しない仕組みを作ることだ」と。

これまで数多くの出会いとお見合いを重ね、すれ違いや見送りを何度も繰り返してきました。
しかしその一つひとつは、無駄な挫折ではなく「自分がどんな場面で負荷を感じ、どんな対話なら安心できるのか」を知るための大切なプロセスでもありました。

青木は「自分を殺して合わせる必要はない。ただやり方を変え、諦めずに模索しよう」と、今も伴走を続けてくれています。

目指すべきは、相手に一方的な我慢を強いる関係でも、自分が無理をして定型発達に擬態することでもありません。
「一人の時間が必要なタイミングを事前に伝える」「察するのではなく、具体的に言葉でルールを決める」といった、お互いの違いを前提にした生活の設計です。

自分の輪郭を削り取って誰かと暮らすのではなく、相手にとっても自分にとっても息苦しくないパートナーシップの形を、この団体とともにこれからも一つひとつ探していこうと思います。

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「保健室40年の不全感。70歳の私が今も支援を続ける理由」あつこ

「誰かに『ありがとう』と言われた記憶が、心を温め直してくれるのです」

40年という長い年月、中学校の保健室で子どもたちと向き合い続けてきました。

教職を退いた今、こうしてブログという形でこれまでの日々を振り返ろうと思ったのには、胸の奥にずっと残り続けているひとつの思いがあるからです。

それは、関わってきたあの子たちへの「十分な支援ができなかった」という、拭いきれない申し訳なさと後悔です。

「あのとき、もっと別の言葉をかけてあげられていたら」
「ただ静かに見守ることしかできず、その先にある生きる力を一緒に探してあげられなかった」

振り返れば、そんな反省ばかりが次から次へと浮かんできます。

けれど同時に、中学校という場所の難しさも痛感していました。
3年間という限られた時間の中で、子どもたちは高校進学のための勉強もしなければならない。集団生活のルールに馴染むことを求められる。
そんな学校現場のシステムと制約の中で、ひとりの養護教諭としてできることには、どうしても限界がありました。

もっと手を差し伸べたかった。
もっとその子のスピードで待ってあげたかった。
けれど時間は容赦なく過ぎ、子どもたちは卒業していき、私自身もまた、拭えない「不全感」を抱えたまま中学校の保健室を後にしました。

普通なら、そこで私の役目は終わりだったのかもしれません。
けれど、その不全感こそが、70歳を迎えた今もなお私を動かし続けています。

「あの時できなかったことを、今度こそ」
「あの日の後悔を、今悩んでいる誰かの支えに変えたい」

そんな思いが、老体に鞭を打つようにして、私を今も支援の現場へと向かわせているのだと思います。

このブログは、決して「ベテラン先生の成功体験」を書く場所ではありません。
40年かけて間違え、悩み、もがき続けた私の「反省録」です。

かつて私が救えなかった子どもたちへの詫び状であり、今まさに思春期の子どもと向き合って途方に暮れている保護者の方や先生方へ、「どうか私を反面教師にしてください」と手渡すための記録です。

少しずつですが、あの日々の記憶と、そこから見えてきた本当に大切なことについて、言葉を紡いでいこうと思います。

〈保健室のあつこ先生、40年の反省録。〉

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「日本にいられない私。それでも、ありがとう。」エイジ

 

 

私は運動チックと音声チックがあります。
物心ついた頃からありました。


ただ、年を取り始めてから多くなってきた気がします。
「パァン・パァン、イイイイイ-」とか、長い文章になると昔よく見ていたCMのキャッチフレーズみたいなものもあります。
「3時のおやつは文明堂!!♩」
〜クゥエ・クゥエ・クゥエ、チョコボール〜
などなど。


運動チックは、右肩が突然ダンスを始めたりします。
あと、右手を肩ぐらいの高さに上げて手のひらを回転させたりとか。


電車に乗っているときに出てしまうと、とても面倒なことになります。
「なにぃ? お前今なんて言ったんだ。」とか「気持ちがわるい。」とはっきり言われることも良くあります。
小さなお子さんをお連れのお母さんなんかは、走り去ったりすることもしばしばです。


でも、言っていることややっていることは、本人はあまり自覚していないのです。


フィリピンでも笑われたりしますけれど、日本と比べると圧倒的にその数は少ないですよ。
だから「私は日本にいてはいけない人間だ」と思ってしまうこともあります。
寂しいけれど、仕方がないです。


フィリピンにいると、ホッとします。


何を食べてもまずいし、サービスという言葉はこの国にはないし、しょっちゅう停電するし。
でも、トータルすると私にはとても良い国なのです。


ありがとう、フィリピン。


ありがとう、日本。


ありがとう、みなさん。

 

 

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知識と現実。当事者として伝えたいこと 東大

 

恥ずかしい話ですが、僕は婚約破棄を経験し、ひどく落ち込んでいました。

その彼女は青木が見つけてくれた女性で、とても綺麗で落ち着いた方です。何度かお会いして打ち解けるうちに「自分にはもったいない」と感じるようになりましたが、彼女は「落ち着いた男性だから良い」と僕を選んでくれました。「こんな自分が結婚できるのか」という信じられない気持ちと嬉しさが入り混じりつつも、結果として僕の方からお断りを入れる形で関係に終止符を打ちました。それは2022年のことでした。

 

それから年月が経ち、2026年になり、突然その彼女から青木の携帯へ「東大さんはまだ独身ですか?」とメッセージが届きました。

 

青木は彼女と毎日のようにやり取りを重ね、僕の発達障害の特性について詳しく説明してくれました。それを知った後でも彼女は「もう一度結婚を考えてくれないか」と望んでくれ、僕も悩み抜いた末にその気持ちを受け入れました。

 

しかし、障害の特性について「知識として知っていること」と、「実際に生活を共にすること」の間には大きな壁がありました。頭では理解していても、いざ現実の生活を始めると「なぜ? なぜ?」の連続になり、想像以上の戸惑いが湧いてくるのです。

 

SNSを覗くと発達障害の差別を批判する投稿を見かけますが、実際に当事者と関わる側の葛藤や難しさもまた、綺麗事では語れない現実なのだと感じています。

 

発達障害の当事者として、また支援団体の代表として、理解しようとする側とされる側の双方の立場から、これからの人生で色々なことを発信していきたいと思います。

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