発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

大変ですねのシャルガオ島 テル

配慮することが大切です。

 

青木さんに連絡したら、繋がらなかったので、スタッフに聞いたら、寝込んでいるとのことだった。

寝込むことなんてない青木さんが寝込むんだから、よほどのことだと思った。

 

 

最近のスケジュールを聞いたら、6日連続で朝6時の便でマニラ、セブ、ダバオ、シャルガオを行ったり来たり。

なんでこんなスケジュールなのかとスタッフに聞いたら、東大さんとエイジさんの会社の件で色々と問題が生じて、その対処のためらしい。

 

 

残念ながら、東大さんもエイジさんも自分の会社なのだけれど、自分で運営管理ができない。

だからスタッフに対処してもらっているという現実。

 

 

ただでさえ、外国人がフィリピンでビジネスを始めるのは大変なのに、その上シャルガオ島ときたもんだから、色々な人たちがお金に群がろうとしているんだ。

 

 

マニラの様な都会と違って田舎のシャルガオ島の方がビジネス環境はとても厳しい。

 

 

電気料金の支払いが1日でも遅れたら、電気の配給がストップ。

「丸1日のセミナーを受けたのち、適当な時期に電気を通すね。」というのがシャルガオ島の流儀。

 

 

電気代を払う方法は車で1時間かけてたどり着く電力会社の店頭で現金支払いのみ。

だったら前もって多めに払っておくというマニラやセブの電力会社の方法はできない。

 

 

それも支払い期間は、支払い期日前後3日間のみ。

そして毎日の様に停電があるから、下手をすると支払いだけで翌日に再び窓口に行くはめになる。

 

 

シャルガオ島はちょっとした建造物を作るのにも許可が必要で数十万円の支払いが必要。

許可が降りるまでに大変な時間がかかるので、◯◯して早めてもらうのが通常のやり方。

 

 

インターネットの電波はほぼなく、土地が貧弱なので野菜栽培には適さず、店頭にある野菜はしなびたものばかり、魚はマニラやセブに比べて種類が少なく、とても残念なシャルガオ島なのです。

 

 

そんなシャルガオ島で頑張っている青木さんですが、色々な人たちから邪魔をされます。

「あなたの土地はもっと小さいはずです。」と訳のわからないことを言ってくるカナダ人。

「うちのゲストルームの看板が見えなくなるので、居酒屋作るのやめてください。」と言ってきたスペイン人。

 

役所にもう1度計測してもらいました。

問題なし。

スペイン人の看板は公共の敷地内にあるんですが・・・。

 

 

「いやあ、僕も含めてフィリピンに来る外国人はおかしい人多いね。」と青木さん。

「それは言えていますね。」と返した僕です。

 

 

「みんな変でみんな良い。」

明日も一日お幸せに!!!

 

 

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私の変な癖 エイジ

 

 

 

私、いかに自分が周りの人たちと比べて、劣っているのかが段々と鮮明にわかってきましたよ。

30年間ひきこもっていました。

ひきこもる前の時は、自分がみんなと違うということに全く気づいてはいませんでした。

みんなとちゃんと話すことが苦手ぐらいにしか感じていませんでした。

 

 

この団体の支援を受けてから、色々と自分が周りと違うことに気づいたんです。

 

 

一番最初は、「服を毎日着替えなさい。」でした。

「汚れてないから、着替える必要はないです。」とアドバイスをしてくれたスタッフに言い返しました。

それで3日間ぐらい同じ服を着続けていました。

 

 

それからは、しばらくスタッフからは何も言われませんでしたが、違うスタッフから同じことを言われました。

そのスタッフから言われたことが少しショックでした。

 

 

あの、そのスタッフさんは若くてとても綺麗でした。

だから、とても悲しかったです。

それからは、その若いスタッフさんがいつも私にアドバイスをくれる様になりました。

 

 

「毎日お風呂に入りましょう。」が次のアドバイスだったと思います。

私はスタッフさんから言われた通りに毎日お風呂に入るようにしました。

 

 

しかし、それでも「毎日お風呂に入りましょう。」と言われるので少しイラついて「入ってますけど、なんでそんなこと言うんですか?」と聞き返しました。

そうしたら、青木さんが「今度、アルバイトの帰りに温泉に行きましょう。」と言ってくれました。

 

 

青木さんと一緒に温泉に入ったら、色々と青木さんに言われました。

「湯船に入る前に体をお湯で流しましょう。」とか。

私は湯船に浸かって湯船の中で体を洗っていました。

 

 

それでまた温泉でも同じことをしたら、青木さんに注意されました。

また私の体の洗い方が充分ではないと言われて、青木さんが見本を示してくれました。

 

 

 

それとか、食べる時に口一杯に食べ物を入れる癖があります。

「それはリスみたいだからやめてください。」と言われました。

また皿に顔をくっつけて食べたりしていたら「犬みたいな食べ方をしてはいけない。」と言われました。

 

 

そんなふうに1つ1つ注意されて、変な癖を治している私です。


1、変な癖を無くす。

2、体力を回復する。

3、様々な社会経験をつむ。

 

 

私がやらなければならないことがたくさんあります。

時間がかかっても、できなかったことができるようになれば嬉しいです。

1つ1つ私の変な癖をなくしていきます。

 

 

 

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他者との交流を通して人となる エイジ

犬の様な食べ方はダメです。口一杯に食べ物を入れてはいけません。

 

 

私は人と違うことがたくさんあります。

以前からその点を書いてきました。

 

 

 

どうして皆さんとこんなにも違うのかといいますと、他者との交流をしていなかったからなのです。

「人は人として生まれてくるわけではなく、他者との交流を通して人となる。」と青木さんは言いました。

他者との交流を通して、学んでいくのです。

 

 

私は他者との交流を30年間もしてこなかったです。

中学や高校時代も含めますと、ほとんどといって良いほど、他者との交流をしてきませんでした。

 

 

その理由は、みんなとうまく交流できなかったからです。

何を話して良いのかわからなかったし、どう振る舞えば良いのかもわからなかったから。

それで、めんどくさいと思いました。

そして30年間、誰とも交流してこなかったのです。

 

 

私は思うんですけど、学校に行きたくないなら、行かなくても良いけれど、どこかで他者との交流をしないと私みたいに、世間ととてもズレてしまう人間になってしまいます。

今、社会復帰の支援を受けながら、日々そのことを感じます。

 

 

今となっては私は手遅れなのです。

だからみなさんには私のようにはなって欲しくないので、書いています。

 

 

ひきこもらないでください。

数年程度なら良いのかもしれないけれど、私の様に30年間は絶対に後悔します。

 

 

その30年間の遅れを取り戻すことは、ほぼ不可能だと思います。

家族のように接してもらいながら、日々支援を受けています。

朝7時から夜の7時まで絶え間なく支援が続いています。

こんな支援はどこにもないと思います。

支援者には盆も正月もないんですよ。

そんな支援に巡り会えた私は、とてもラッキーなんでしょうね。

 

 

私への支援が始まってすでに1年半が過ぎました。

しかし、ゴールはまだまだ見えていません。

しばしば、正直もう無理だなと思ってしまいます。

情けなくなって涙を流すこともあります。

 

 

それでも日本に帰国せずに、ここフィリピンで頑張れているのは、30年間のあの時には絶対に戻りたくないからです。

 

 

今年中に支援を終了と思って頑張ってきましたが、あと半年はかかりそうだと感じてます。

青木さんが、「もう充分だよ。よくここまでがんばってきたよ。」と最近よく言ってくれます。

励ましなんだろうとはわかっています。

 

 

しかし、こんな程度ではダメなんですよ。

誰からも相手にされない人間のままです。

 

 

頑張るしかない。

先を見ると、がっくりくるけれど、振り返れば、随分と頑張ってきたことがわかります。

 

 

私は、変わりたい。

私は友達が欲しい。

あともう少し。

あともう少しだ。と自分を励ましながら今日も支援を受けています。

 

 

 

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彼女が東京のドラッグストアで叫んだ テル

クリスマスまでのカウントダウンが始まったフィリピンです。

 

 

ご無沙汰しております。

日本に帰国して、昨日お休みをもらいました。

まあ日曜日でしたからね。

 

 

フィリピンから日本に帰国する前日、突然上司の自宅に呼び出されて会社の備品をフィリピンに持っていくことになりました。

それが急ぎの荷物らしくまたかなりの量でして、預け入れ荷物の枠の制限を超えてしまうので、結局私と彼女のプライベートな荷物の大半を彼女の実家に置いていくことになったのです。

 

 

そのことでかなりいらついていた僕の彼女です。

 

 

日本についてからは怒涛の忙しさでした。

でも僕は社会に参加しているんだという感覚をいつも持ち続けられていることにとても興奮していました。

 

 

僕にとっては心地よい疲れでしたね。

 

 

彼女はといいますと、毎晩友達と外食三昧です。

外出が終わって部屋に戻った後も、一緒にコンビニに付き合わされます。

コンビニでの滞在時間が長いんですよ。

全ての棚を見て周り、そして僕に質問するんですよ。

「これはなんだと。」

 

 

それも毎回違うコンビニに行きたがるんです。

あと、スーパーにも行きたがるんですよ。

フィリピンではモールの中での食品売り場か路上で買うしか選択肢がないんです。

ところが日本は数多くのスーパーがあるじゃないですか。

だから興奮しまくりです。

 

 

そこにドラッグストアも数多くあるし、店内にはシャンプーだけでも・・・・。

ついに彼女、ドラッグストアー内で叫んでしまいました。

僕は慌てて店外に彼女を連れ出しました。

 

 

日本すごいよね。」

「凄すぎる。」

それが最近の彼女の日本語での口癖です。

 

寝る時間を惜しんで何やら色々と思いを巡らせています。

「何をしているの?」と聞きましたら、家族を呼び寄せるスケジュールを考えているとのこと。

 

 

「結婚してからも書類を用意して、許可が降りるまで1年はかかるよ。」と言いましても、もう先へ先へと想いを巡らせています。

 

 

「ねえ、ワトソンズ(フィリピンのちょっと洒落たドラッグストア)には毎日多くの若い女性が訪れているよね。でもいま考えたら商品少なすぎよ。日本のドラッグストアをフィリピンに持っていったら、連日超満員だよ。」

 

「一体フィリピンはなんなの!!」

 

 

「フィリピン人全員日本に来るべきです。日本の素晴らしさに涙します。叫びます。」

 

 

 

あああああ、僕は自分が働けている喜びを彼女と分かち合えないことが辛いですね。

なんだか悶々とている僕です。

 

 

エイジさんすみませんがしばらくブログ書けそうにないです。

どうかよろしくお願いします。

 

 

 

 

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早くまともな人間になりた〜い。エイジ

【想い出のアニメライブラリー 第129集】発売元 株式会社ベストフィールド より

 

私最近になって本当に思うことは、私は変な人間なんだということです。

どういうふうに変かといいますと、みんなとあまりにも違うからです。

 

 

みなさんは、毎日服を着替えるんですよね。

私は毎日は着替えていませんでした。

毎日着替えないといけないとわかった後でも、面倒くさいのでパンツを表裏そして前後と4回はけると思って、はいていました。

今は、着替えていますけど。

 

 

お風呂に入ったら、体を洗うんですよね。

私はお風呂に入るだけで、体は洗っていませんでした。

今は体を洗うことを覚えましたんで、洗ってますけど。

 

 

食事中は黙々と食べていました。

みんなと会話しながら楽しく食べるものなのですね。

 

 

相手の目を見て会話するのですね。

相手と視線を合わせるのが嫌なので、あわせていませんでした。

 

 

髭とか鼻毛とか耳毛とかを切ることを知りませんでした。

だから鼻の中も耳の中もジャングル状態になっていました。

 

 

ごみをどこに捨てて良いのかわからなかったので、持ち歩いていたバッグの中に入れていました。

そのことを忘れていてバッグの中はごみだらけでした。

 

 

そのバッグにはキティちゃんのマークが入っていました。

母親が商店街のくじ引きで当たったやつです。

それを使っていました。

それは使ってはダメだとスタッフに言われましたので、今は使っていません。

スタッフさんが買ってくれたものを使っています。

 

 

「どこにいるの?」とスタッフさんに電話で聞かれたので、「おうちにいます。」と言いました。

ご両親と最近話したのと聞かれた時に「おうちの人とは話していません。」と言いました。

「お父さんは死にました。お母さんは体の調子が良くないです。お兄さんは忙しいです。」と言いました。

 

 

「家族とは話していません。」

「母は・・・。父は・・・。兄は・・・。」と言いなさいと言われました。

 

 

まだまだ変なことがいっぱいあります。

私は知的な障害はありません。

標準より上だと思います。

 

 

しかし、この有様です。

30年間ひきこもっていて、誰とも交流していなかったから?

発達障害ですから、どうぞご理解してください。と言ってはダメですか?」と昔青木さんに聞きました。

 

 

「最低限、身につけたいことなんです。それが身についていないと、一人ぼっちになってしまうよ。」

 

 

私は変な人間なのです。

「早く人間になりた〜い。」と妖怪人間ベムが言っていました。

私も同じです。

 

 

頑張ります。

 

 

 

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東大さんは日本で再挑戦する人に寄り添う エイジ

 

 

フィリピンで支援を受けていたけれど、コロナの影響で大学の授業がなくなってしまい、再びフィリピンの部屋でひきこもってしまった人がいます。

 

 

コロナの影響がおさまり、大学でのface to faceの授業が始まりました。

彼に今後のことをどうするのかと聞きました。

「落ち着いたら大学に戻りたい。」

 

 

しかし、彼には戻るだけの気力がありませんでした。

 

 

 

大学在学中に、他者とのコミニケーションの練習をし、これから生き抜いていく力を身につける予定でした。

しかし、それができないとなったらどうしたら良いのか?

 

 

もちろん彼の思いが最優先されなければなりません。

しかし、彼自身は考えることができなくなっていました。

 

 

 

それで支援スタッフが色々とアドバイスをしました。

最終的に、団体のお手伝いをすることから始めてみようとなったのです。

 

 

お手伝いをするにしても1人で黙々とできるわけではありません。

1人でできるまで誰かが寄り添なければなりません。

今回寄り添うのが東大さんなのです。

 

 

団体の仕事から始めて、少しずつ負荷がかかる仕事ができるようにしていきます。

自分1人でできるようになることが目標です。

 

 

団体の仕事は簡単な仕事です。

その次はアルバイトに移ります。

最初は東大さんが自分でできるアルバイトを探してきます。

誰とも関わらないで良いような仕事です。

 

 

慣れるに従い少しずつ負荷がかかる仕事に移っていきます。

新しく仕事を変わったなら、必ずその仕事に慣れるまで東大さんが寄り添い続けます。

 

 

最終的に毎日働くことができるようになることが目標なのです。

 

 

アルバイトだけではありません。

 

 

部屋から外に出て、自分の趣味を楽しむことができるように導いていきます。

それも1人では見つけられませんので、東大さんが彼といろいろなことを楽しんでいきます。

その中で、彼が楽しめることがあれば良いのです。

 

 

彼は、飲むことを楽しめます。

飲むと少し気が大きくなって、周りの人たちと関わることができるのです。

そのことだけでも十分大きなことだと思うのです。

 

 

残念ながら自宅には帰ることができませんでした。

彼は近所の人の視線が気になるから実家には帰りたくないと言っていましたので。

 

 

東京に事務所を作りました。

その事務所に東大さんと一緒に住むのです。

それぞれに部屋があります。

 

 

平和島近くですから、倉庫群が近くにあり、アルバイトには困りません。

また、蒲田も近くにあります。

蒲田には面白そうな飲食店がたくさんあります。

 

 

昔の新宿のような雰囲気が少し残っている街なのです。

 

 

東大さんは二つ返事で、彼の支援を引き受けてくれました。

「なんとしてでも彼を笑顔にしたいですね。このまま実家に帰すわけにはいきません。」

そう言った東大さんの顔には自信が満ち溢れていました。

 

 

まだ私たちにできることはあります。

できるだけのことをしていきましょう。

 

 

青木さんから来た文章を転載しました。

 

 

私は自分のことで精一杯なので、なんと言って良いのかわかりません。

フィリピンでうまくいかないこともあるのですね。

この団体は、〈短期お試しツアー〉でフィリピンを気に入るかどうかを見極めることをしています。

 

 

でも6年もいたのに日本に帰ってしまうのですか?

そんな人もいるんですね。

でも幸せになってくださいね。

 

 

 

 

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他人が怖いからひきこもった。エイジ

他人が怖い。赤ちゃんとか老人なら大丈夫。外人もOK

 

彼はとても優しい人です。

真面目な人です。

背が高くて見た目も良くて女性にもてる人です。

1人でできる仕事なら黙々と仕事をこなせる人です。

と青木さんが言っていました。

 

 

本当かどうかは、私は会ったことがないのでわかりません。

 

 

 

日本では10年近く家から出られずに部屋の中で過ごしていた人です。

10年も過ごしていたなんてと私は思いましたが、私は30年間も過ごしていたんですよね。

今ではすっかり過去のことを思い出せなくなっています。

 

 

なんで自分の部屋にひきこもっていたかというと、私の場合は周りの人が怖かったからです。

周りの人とちゃんと話す自信がないのです。

私で言いますと、話している最中に「こいつなんか変だぞ。」と相手に思われる。

 

 

そうしますと揶揄われたりするのではないかと怖いのです。

相手はきっと私を傷つけるだろうと想像するのです。

彼もきっとそうだと思います。

 

 

だから人馴れすることが大切なんです。

どうしたら人馴れするのか?

他人とうまく話せたら良いのです。

他人とうまく話せる練習が必要です。

 

 

日本にいた頃、団体の支援スタッフと話す練習をしていました。

とてもとても時間がかかりましたが、少しずつ他人と話ができるようになっていきました。

 

 

その次は、違う人たちと話す練習が必要なのです。

それで私は単発のアルバイトをさせられました。

単発のアルバイトでは、アルバイト先の人と話をする必要があります。

とても緊張しました。

でもそれも少しずつできていきました。

 

 

 

ちょっと言わなければならないことがあります。

単発のアルバイトで、他者とのコミニュケーションができたと思っていました。

しかし、後で分かったのですが、単発のアルバイト先の人たちもこの団体を支援している人たちでしたので、相手の方がうまく話を合わせてくれたのです。

 

 

そして次に日本の社会で、発達障害のことを理解することを期待できない人たちとのコミニュケーションです。

しかし、これは私には無理でした。

とても緊張してしまって、毎回チックの症状が強く出てしまうのです。

 

 

それで青木さんは、日本での支援を諦めて私を海外へ連れて行ってくれました。

 

 

結果からいうと私は海外で自信をつけることができました。

 

なぜ日本ではダメで、海外でうまくいったのか?

そこにははっきりとした理由があります。

それを考えた青木さんはすごい人だと思います。

 

 

30年間、誰とも会わないで暮らしていた私や東大さんが、幸せと感じているのですから、すごいことなんです。

 

明日はそのことを話します。

 

 

彼のプログラムのことを書かないといけなかったけれど、すみませんでした。

 

 

また明日書きます。

 

 

 

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