発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

不登校・社会的ひきこもりには理由がある。青木

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私は小学校3年の時に同級生からいじめられました。

後頭部をトライバーで何度も切りつけられて、数日入院しました。

それからは怖くて学校に行けなくなりました。

不安になった両親が違う街に引っ越してくれました。

 

 

 

新しい小学校で4年生になりました。

しかし、すぐにいじめられました。

いじめはエスカレートしていきました。

 

 

 

私はひどいアレルギーを持っていました。

マヨネーズなどの卵系の匂いをかいでも嘔吐したり、皮膚の色が赤茶色くなってしまうのです。

 

 

マヨネーズを摂取したら意識を失うこともあります。

同級生がそれを面白がって、私を押さえつけ口の中に給食で集めたマヨネーズを入れたのです。

意識を失い救急車で緊急センターに運ばれ数日入院しました。

 

 

再び中学3年の後半から、学校に行けなくなりました。

入学した高校でもひどいじめで半年で中退しました。

 

 

小、中、高と私の人生はいじめられた人生でした。

 

 

 

そして18歳から6年間ひきこもってしまいました。

24歳で今のこの団体と出会い支援を受けて、社会復帰したのです。

 

 

私はひきこもっていました。

私がひきこもったのには理由があります。

他人が怖かったからです。

 

 

勉強や運動がみんなと同じようにできませんでした。

コミニュケーションもみんなとうまく取れないのです。

だからいつも1人でした。

 

 

自分はみんなと比べて、大変劣っている人間だと思っていました。

そして、すでに同級生たちとは大きく離されてしまい、この社会で自分が所属できる場がないことを感じて、何もかも諦めざるを得なくなりました。

 

 

だから他人が怖くて仕方がありませんでした。

外に出て同級生と会うのが怖かったです。

「おい、お前青木だろ。いつもいじめられていたな。いま何やっているんだ。」そんなふうに聞かれたことがあります。

 

 

電車に乗ったら、女子高校生がこちらを見て笑っている。

「きっと俺の顔が変だから、笑っているんだ。」そう感じました。

 

 

ホームに立っていると後ろから、誰かが押してホームに落とされることをいつも想像するようになってから、電車に乗れなくなりました。

 

 

雨戸を締め切り、部屋の隅でうずくまっていました。

 

 

〈人生をやり直す。〉

そんなことを考える気力もありませんでした。

やがて、この苦しさから逃れる為には死ぬしかないと追い詰められていきました。

 

〈続きます〉

 

 

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