発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

何度もやり直したけどダメだった。青木

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小学校3年時、彫刻刀で頭を刺されました。

後頭部は硬くて、あまり痛みを感じませんでした。

それで、刺した子が何度も何度も差し続けたのかもしれません。

流石に痛みを感じて、失神したのを覚えています。

 

 

私はクラスの同級生からいじめられていました。

勉強ができないし、みんなとうまく会話ができない。

変な奴だと思われていました。

 

 

「お前、変だ。」とか「お前、あっちに行け。」とかよく言われていたことを思い出します。

 

 

結局、病院に数日入院する事になりました。

退院後、学校側と刺した子どもの親とを交えて話し合いました。

 

 

話し合いの後、私の親が判断したのは、学校を変わるために引っ越しをする事でした。

4年次の新学期に間に合うように違う町に引っ越しをしました。

 

 

しかし、引っ越した先の小学校でもいじめられました。

今度はクラスの多くの子にいじめられました。

私は匂いにとても敏感です。

そして、さば、豚の脂身、卵に反応してアレルギーが出てしまいます。

 

 

クラスの子が給食で出たマヨネーズを集めて、押さえつけた私の顔にかけたのです。

強いアレルギーが出て呼吸ができなくなり、救急車で病院に搬送されました。

 

 

中学校が1番きつかったです。

なんとか頑張って通ったのですが、中学3年の2学期で行けなくなりました。

学校のクラスの中にいることがとても怖かったのです。

 

 

自分だけがみんなと違うという感情がいつも私を不安にさせていました。

何をやってもみんなと同じことができない。

なんとかこの状況を変えたいという思いは常にありました。

 

 

しかし、どうして良いのか何もわからず、時間が経つにつれて不安がさらに増していったのです。

 

 

35年間、支援の現場にいます。

不登校・ひきこもりといわれる人たちの支援をし続けてきました。

中には、小学校から通えない人たちもいました。

 

 

でも、私ほど失敗を繰り返してきた人とはまだ出会ったことがありません。

何度失敗しても、みんなと一緒にいたかった私です。

みんなといると楽しい。

みんなの輪の中に私も入りたかった。

 

 

でも、みんなは私を仲間として見てくれなかった。

私はいつも1人でした。

そんな自分は死ぬしかないと思っていました。

 

 

続きます。

 

 

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