発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

私たちは子育てに失敗した母親たちです。吉村

 

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Age is just a number!!     To  infinity and beyond!!        Siargao island


 

 

日本とフィリピンセブ市で支援をしています。

日本での支援は30年間途切れずにおこなっています。

セブ市の支援は今年で13年目を迎えています。

 

 

 

日本サイドでの女性スタッフは全員60代以上です。

相談会に来られた方に、そう言いますと、驚かれるばかりです。

 

 

 

私たち自身が30代、40代の頃の、私たちの母親の姿を思い浮かべますと、「腰が痛い。足が痛い。」という話題や「友達と温泉に行ってきた。」「孫の世話をお願いする。」が多かったように思います。 

 

 

 

しかし、私たちがその年代に到達した今。

昔の60代、70代とは違うことに私たち自身が驚いています。

 

 

 

私は、全国を訪問しています。

北は北海道から南は宮古島まで行っています。

それどころか、毎月フィリピンに支援のために訪れていました。

 

 

ある時には、フィリピンから、セントレア空港に到着して、翌日早朝に再び、セントレアからフィリピンへの便で高校生のお子さんをお連れしたことがあります。

 

 

 

 

支援している女性が、サーフィンをしたいと申し出たならば、私もサーフィンをします。

流石に日本人の60代女性でサーフィンをする方は珍しいと、現地でも話題になったりもしました。 

 

 

 

オートバイを乗り回し、テニスラケットを振り回し(テニスは全くの初心者で、それこそ振り回すだけで、ラケットにボールが中々当たりません。)

 

 

 

同僚だった教員仲間は悠々と引退生活を送っていますが、私といえば、教師として現役で働いていた頃より、活発に動き回っています。

 

 

 

そんな私たちですが、全員共通していることがあります。

私たちは、子育てに失敗した母親たちなのです。

 

 

 

どれだけ子どものために涙を流したか。

このままの状態がいつまで続くのか?

出口が見えない暗闇の中にいた時は、本当に辛くて仕方がありませんでした。

それ以上に、子どもたちが辛かったと思うのです。

 

 

 

でも今、幸いなことに私たちの子どもたちは、笑顔を見せてくれています。

仕事の話を、愛するパートナーの話をするときの横顔を見ていると、辛かったあのときのことが嘘のように思えてくるのです。

 

 

 

今、私たちは感謝な気持ちでいっぱいです。

私たちが流した涙は、無駄ではなく、昔の私たちと同じような状況の人たちのために役立っていることを知ります。

 

 

 

 

全ての出来事を感謝できる日が、皆様にも訪れると私たちは信じて今も支援を続けています。

 

 

 

 

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