飛行機からのこんな風景大好きなんです。とても理解しやすいから。
僕は頭が悪いと思っていた。
学校の授業が何もわからなかったから。
特に板書が苦手だった。
先生の書くスピードが早くて、早くて。
書き写す前に消してしまう先生がいたな。
すごく腹が立って仕方がなかった。
だから、小、中の授業は僕にとってはスリーピングタイムだった。
でも自分が関心があることにはとても熱心だった。
父親が天文学が好きで、図鑑をたくさん所有していた。
父親の部屋に忍び込んで、その図鑑を見ることがとても好きだった。
綺麗な天体の写真にひき込まれていた僕だった。
父親は先生をしていた。
担当教科は数学なのに、「天文学者になり損ねた。」と何かに触れて、独り言を言う人だった。
「医者にもなりたかった。」と言うこともある。
それは僕たち家族との会話ではなく、独り言なんだ。
それで、〈人体図鑑〉なんかも本棚に飾ってあった。
図鑑を見てスケッチブックに模写するのが父のお気に入りだった。
僕と父親は一度も会話らしい会話をしたことがなかった。
ただ、図鑑を見ている僕をとても気に入っていた父だった。
「お前はこの図鑑の中で何が1番気に入ったのか。」となんども同じ質問をしていた父を思いだす。
それは、別に子どもとの会話を楽しんでいるのではなく、自分の世界を楽しんでいるだけのように今思うとそう感じる。
父のことを改めて考えてみたら、父もアスペルガーだったと思います。
おかしかったから。
病気でなくなってしまったけれど。
まあ、大変でしたよ。
僕にとっては大変な父だった。
理解できなかったから。
その行動、発言全てが。
父親に、母親と結婚した意味はなんなのかと聞いておくべきだった。
母が僕を産んで嬉しかったのかとも聞きたかった。
母もまたそんな父の世話をしなければならず、大変だったと思います。
母にとっての、僕の存在と父の存在。
僕にとっての父の存在と母の存在。
正直よくわからないんですよ。
家族ってなんだってね。
はあ、ほんと大変だよね。
大変だったよ。
だから、結婚に対して良いイメージが持てないから、一生独りでいると決めていた僕です。
しかし、そんな僕を今の彼女が根底から変えてくれました。
これから、僕は愛する人と結婚をして新しい家庭を築くのです。
しかし、将来を考えた時に不安になって、青木さんに聞きました。
「僕が作る家庭も、僕の両親のような家庭になるんでしょうか?」ってね。
「わからないな。けれど、そうならないように努力しようと思っているんでしょ。また、ご両親の何が問題だったかも理解できているんだから、ご両親のようにはならないんじゃないのかな。」
自己理解をすること。
俯瞰的に物事を見ること。
これアスペルガーの僕にはとても難しいことなんです。
でも、頑張って練習すれば、少しはましになるんです。
僕はそう言われて、徹底的にスタッフに練習をしてもらった。
少しはましに他者とコミニュケーションが取れるようにと。
付け加えておかないといけない。
父親とのことを書きましたが、これはスタッフさんとの話し合いの中で、頭の中を整理してもらったんです。
それで、まあ落ち着いて父親のことを書くことができています。
正直、自分と血の繋がりがある人たちのことは思い出したくもなかった。
今は落ち着いている僕です。
長い時間の中でのケアが、僕を少しずつ落ち着かせていったんだと思います。
まあ、感謝しかないですね。
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