僕の父は、「自分の人生は幸せだ。」と僕に言った。
僕たちのことをどう思っているのかと聞いたら、
「お母さんは、毎日弁当を作ってくれている。お前は大変な中、頑張ったな。」と言った。
僕にはその答えで十分だった。
父にはそれ以上何も求めていないから。
相手に何かを求めて、求めたものが相手から得られなかったら・・・。
僕は僕のことで、いっぱいいっぱいだった。
自殺するか?生き恥を晒し続けて生きていくのか?
毎日そんなことばかり考えて一日を終えていた。
だから父親のことを考える余地は僕にはなかった。
母親にしても、僕が不登校になったことで、気持ちが僕に向かざるをえなかったので、15年近く父のことでイライラすることはなかった。
それ以上に、父親が僕のことを心配してくれて、母親の話に少しは耳を傾けるようになった。
でも、父親からのアドバイスは全てズレていたと母は言っていた。
そんなこんなで、なんとなく両親は別れることをせずにここまでやってきた。
別れるということも大変なエネルギーが必要なんだろうと思う。
でもこれで良かったのか?
母は今でも昔のことを思い出すと、机を叩いたり、叫んだりする。
気性の激しい母ですが、普段はこんな様子を見たことがない。
「テルが不登校にならなかったら、私はとっくにあの人と別れていた。こんな人生、誰も望んではいない。あの人は家政婦が欲しかっただけなんだ。私でなくても良かったんだ。」と一際大きな声で叫んだ母親です。
世の中には、僕の母親と同じようにとても苦しんでいる家族がいると思います。
自閉度が高い?(不適切な表現だったら許してください。)家族との関わりができない僕たちです。
「受け入れなければならない。」と言うのは簡単です。
でもそれが毎日!!なのです。
僕たちにはとても難しいのです。
お許しください。
あああああああ。
でも僕たち家族はまだマシなんだろう。
命を断つ瀬戸際まで追い込まれている家庭もあるんだろうな。
青木さんは、家族の様に彼らと寄り添って支援している。
それは35年間支援の現場にいる青木さんにとっても大変なことで、強いストレスから心筋梗塞になった。
それほどまでにこの支援は大変なんだと改めて思った。
全国の支援者の皆さんの健康をお祈りします。
僕の様な家庭の皆さん、近くの保健所や支援団体につながってください。
お1人では無理ですよ。
では。
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