発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

アスペルガーと診断されるがおかしくなって行った僕。 ジャイアン

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「あの担任が悪いから、あなたは学校に行きたくないんだわ。」

母が言った一言でぼくは違う私立の学校に変わりました。

 

 

 

最初は学校に行けていました。

友達もできました。

でも僕自身がやる気を無くしてしまっていました。

 

 

それと、やはり学校のスケジュールをこなすことがとても辛かったです。

興味のないことはしたくなかった。

でもやらないといけないので、それがストレスとなっていました。

 

 

僕はアトピーを持っていたので、ストレスが溜まると全身に吹き出物のができたりした。

顔から足の爪先までです。

 

 

それが痒くて仕方がないのと恥ずかしいのでそれで学校にもっと行きたくなくなった。

そして完全にひきこもってしまいました。

 

 

ひきこもった当初はとてもリラックスできて、吹き出物もすぐになくなりました。

 

 

家で図鑑を眺めたりプラモデルを作ったりしていました。

それも数ヶ月で飽きてしまいました。

そして他のみなさんと同じようにゲームの世界に没頭して行きます。

 

 

 

でもそんなゲームもしだいに飽きました。

ぼくはあくまでもリアリテイを求める人間なんで。

 

 

自分は外に出たいのに出られない。

アトピーは治ったけれど、顔と腕にアトピーの跡がひどく残っていたのでやはり恥ずかしかったです。

 

 

それとみんなが学校に行っているのに、自分はみんなと一緒にできないことが漠然とした不安な気持ちになったのです。

このままでいいのだろうか?

 

 

高校生になったらさすがに焦ってきました。

それでイライラしてきて、壁を蹴ったり、夜中に大声をあげたりしていました。

 

 

僕の家の周りは田舎で、そして林に囲まれていたので、夜中に大声を出しても近所迷惑にはなりませんでした。

 

 

 

母親はもう僕には何も要求はしてこなくなりました。

父親とはほとんど会ったり、会話をしたことはないです。

いつもあちらこちらの経営する病院を飛び回っている人でしたから。

 

 

 

僕は気が狂いそうでした。

いいえ、気が狂ったと思っていました。

 

 

 

小さな人間がぼくの周りにまとわりついていて、いつもぼくの耳元で囁くのです。

「早くここから逃げ出そうよ。」

「家に火をつけて、お金を持ってさあ逃げ出そう。」

 

 

 

実際、灯油を家にまいて火をつけたことがあります。

夜中に、家のガラスを割って回ったことがあります。

 

 

いずれも警察が来ました。

そして警察官から説得されました。

それから少しして、僕は母と母のお兄さんに付き添われて病院に行きました。

 

 

 

そこで、アスペルガーと診断されました。

もう一つ忘れてしまったけれど、何かの診断名もいただきました。

その後、薬を飲み続けるように言われました。

 

 

 

その薬はぼくには合っていなかったようで、全身が硬直したようになるので嫌でした。

 

 

自分が鼻水やよだれを垂らしていても、鏡を見るまでわからなかったりしていました。

母親が病院を変えました。

 

 

違う薬を与えられて飲みましたが、体がバラバラになっていくような気がして、ある日「救急車を呼んでくれ」と叫んだそうです。

 

 

どんどん僕はおかしくなって行きました。

 

 

 

 

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