発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、テルとエイジとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

東大大学院で不登校になった僕のその後。30年ひきこもった ASDな僕

 

 

 

学校の成績は非常に優秀でした。

高校の担任から東大の医学部への進学も薦められました。

それほど成績はよかったのです。

まあ僕は医者はめんどくさい仕事だと思っていましたから、なりたくはなかったですが。

 

 

東大卒業までは順風満帆でした。

何も思い煩うことはなかったです。

問題が起きたのは、東大大学院に進んでからです。

 

 

研究室で研究仲間や教授から不当な扱いを受けたのです。

周りの人たちが、僕を攻撃し始めたのです。

あまりの不当な扱いに、僕は身の危険を感じて大学院に通えなくなりました。

 

 

僕の行動、一挙手一投足に対して注意をしてくるのです。

しかも小さなことばかり。

彼らの行為を止めさせるべく東大内のどこに提訴するべきかを調べたりもしました。

 

 

しかし、結局は大学院が怖くなっていけなくなりました。

その後、実に長い年月をかけて僕は東大大学院を終了したのです。

 

 

大学側の理不尽な対応に憤っていた僕ですが、そのうち社会全体が怖いと感じる様になりひきこもってしまいます。

その期間なんと30年近くです。

 

 

いつも思っていたことはこの社会はとても怖い。

僕の様な善良な市民は生きていくことができないと。

怖い夢もよく見ました。

 

 

『極度に合理化を進めている日本政府は、僕の様な国家にとって役に立たない人間を一堂に集め、管理する法律を国会で審議し成立させた。

その翌日から、警察や軍隊が該当者を捕獲すべく動き始める。』

そんな夢です。

 

 

時には、古いゲームをやりながらダラーっとした一日を過ごしたりもした30年間でした。

 

 

 

そんな時に支援者と出会ったのです。

その出会いで、僕の世間に対する見方が180度変わりました。

 

 

僕が大学院の研究室でうまくいかなかったのは、僕に問題があったのです。

周りのせいではなかったのです。

 

 

社会は色々と問題を抱えていますが、社会だけが問題ではなかったのです。

 

 

 

そのことがわかったことで、僕は社会復帰を目指すことができたのです。

それがわからない限り、なんの進展もありえないのです。

僕にとっては自分を変えることが最善の方法だったのです。

 

 

あれから8年が過ぎました

30年間のひきこもりから脱した僕は、今は農業に従事すべく準備をしています。

日本語から英語へ、そしてフィリピンの地方語の習得目指して勉強しています。

残りの人生を豊にすべく、60を過ぎてから自動車免許を取り、自動車も購入しました。

 

 

今後の希望は、残りの人生を一緒に歩んでくれる人を探すことです。

 

 

 

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