東大さんは30年近くひきこもっていました。
家族以外の誰とも交流を持ちませんでした。
他人と関わるのが怖くて仕方がなかったそうです。
53歳で家から出ました。
彼にハガキを送り続けて6ヶ月。
その熱意に応えてくれたのです。と書きたいところですが、真実は送られ続けるハガキを止めてもらいたくて、直接私と会って断ることにしたそうです。
しかし、会ってくれることは、私たちにとっては東大さんと繋がる大きなチャンスでした。
その時に私が彼にどうアプローチをしたのかは、以前このブログで書きましたので、今回は触れません。
東大さんは、翌日パスポートの申請をして、2週間後フィリピンに渡ったのです。
日本からフィリピンに環境を変えたことで、彼に大きな変化が訪れました。
東大さんが他者と交流をし始めたのです。
もちろん最初は、彼のことを理解している私たちスタッフとの交流です。
スタッフとの交流に慣れるに従い、一般の人たちへ交流の輪を広げていきました。
フィリピンという国が彼にあっていたのでしょうね。
他者との交流の中で、彼に笑顔がみられるようになったのです。
「毎日が楽しいですね。30年近く誰とも関わらなかったことをとても残念に思います。」そんなことを話していたのを思い出します。
家から外に出ることができるようになったわけです。
支援の成果で、家庭教師ができるまで回復しました。
実際、家庭教師で成果もあげています。
そこで東大さんの支援を終了しても良かったのです。
再び日本に戻り、家庭教師の職につく。
彼の趣味は、遺跡や観光名所巡りです。
場所を探して、旅行のスケジュールを組む。
電車のチケットを購入して、最寄り駅で下車。
観光を堪能する。
お腹が空いたら、事前に調べておいた地元の人気店で食事をする。
彼は自分の人生を楽しむことができるまでになったのです。
ただし、練習しても苦手なことは依然としてあります。
片付けが苦手な彼は、ヘルパーさんを週2回頼めば良いんですよ。
穴の空いた靴下や下着は捨てることも理解しました。
洗濯や簡単な調理もできる様になりました。
どうしても苦手なことは、ヘルパーさんを頼めばそれで良いのです。
彼は残りの人生を充実して過ごすことができるのです。
しかし!!
東大さんは、私たちが予想しなかった状況になっていたのでした。
言い換えれば、もしかしたら〈パンドラの箱を開けてしまった〉とも言えるかも知れません。
東大さんは、大きな苦難の道を歩くことを選んでしまったのです。
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