発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

人生を楽しみなさい!!30年間ひきこもったASDな私。

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2018年9月。30年ひきこもっていた時に笑える日が来るとは想像できませんでした

 

支援スタッフの人が、私に言った言葉の中で好きな言葉がいくつかあります。

それをご紹介したいと思います。

 

 

その1つが「人生を楽しみなさい。」です。

言われた時には、その言葉の意味がすぐには理解できませんでした。

 

 

小学校、中学校と不安が強くなって学校を休んだことはあります。

でも不登校ではありませんでした。

 

 

高校になったら、不良グループに目をつけられて、金銭を要求されたりもしました。

だけれど、高校を卒業しました。

 

 

 

でも、いつも自分はダメな人間だと思っていました。

本当は知的障害のレベルなんだと思っていました。

検査したら、あなたは別の学校に行った方がより良いですと勧められたんだろうなって思っていました。

 

 

勉強ができませんでした。

みんなとコミュニケーションも取れなかった。

意を決して、大学で喫茶店のアルバイトに挑戦しました。

自分はダメなんだという考えから、脱却したかったから。

 

 

でも、お客さんのオーダーを取り間違えたり、配膳途中で料理をひっくり返してしまったりとかして、何度も店長から怒られました。

お客さんにも「なんだお前。こんなこともできないのか?頭おかしいんじゃないのか」

そう言われた言葉を今もはっきりと覚えています。

 

 

そんなんで、アルバイトは数日で行けなくなってしまいました。

無断欠勤したら、お店から家に電話がありました。

怖くて居留守を使いました。

 

 

そして、それ以来、その店の近くには立ち寄れなくなりました。

まあ30年間ひきこもっていたから、外に出ることはなかったんだけれど。

 

 

だから、私は自分を最低な人間だと思っていました。

そして30年間ひきこもるわけです。

 

 

私は国民の義務に違反しています。

「国からの色々な社会保障のサービスを受けたいなら、働いてくださいね。

でもね、働けるのに働きもせずに国からの社会保障を受けるのは困りますよ。」ということですよね。

 

 

間違ったていたらごめんなさい。

そう思い込んでいたので、私は自分は国からも認められない国民なんだと思い続けていました。

 

 

だから、最低でも働けるようにならないと思っていましたが、それすらもできずに30年間ひきこもっていたわけです。

 

 

そんな人間に「人生を楽しみなさい!!」と言うのです。

「働きなさい!!今こそ国民の義務を果たしなさい!!」と言われると思っていたのに。

 

 

でも、今はこの言葉の意味がわかりますよ。

 

 

人生は素晴らしいですよ。

それをわからせてくれたスタッフに感謝です。

 

 

もちろん私は働きますよ。

働いて納税するんです。

国も私を認めざるをえないでしょう。

 

 

決して遅くはないんですよね。

 

 

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