発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

ボランティアで知った自分の可能性。程度の悪いアスペな俺

f:id:smilehousejapan:20100424181541j:plain

いざ、フィリピンへ

 

 

 

 

 

 

f:id:smilehousejapan:20200508160510j:plain
f:id:smilehousejapan:20200508160448j:plain
09年9月オンドイという名前の台風がフィリピンに大きな被害を与えた

 

僕たちは毎月おこなっているボランテイアをする為に、台風がくる前日にたまたま貧困地区近くのホテルに宿を取った。

その晩は大変な風と雨が僕らのホテルを襲った。

 

 

翌朝、外は大変なことになっていた。

市の中心部に通じる道路は遮断されていて、貧困地区の住民は身動きが取れない状態だった。

僕たちはとにかく安全を確認して、被災地に入った。

 

 

 

道路が遮断されている為に、他の救援団体は被災地に近づくことができない。

僕たちだけが被災地にいる唯一の支援団体だった。

 

 

空から、テレビ局のヘリが降りてきて、僕たちはテレビのインタビューを受けた。

僕たちが用意した食品ならびに中古の衣服は500セット。

そこに5000人の被災した人たちが押しかけてきたから、大変なことになっていた。

 

 

支援物資の奪い合い。

 

f:id:smilehousejapan:20090930151711j:plain

緑色の帽子が俺です。殺到した被災者を前になすすべもなく立ち尽くす俺たち

 

f:id:smilehousejapan:20090930145138j:plain
f:id:smilehousejapan:20090930145331j:plain
違う場所に移動してボランティアをおこなった

すごい経験をした。

俺の頭の中は、数日間混乱したままだった。

 

 

帰国後、俺は青木さんに言った。

「あの人たちの為になんかしなくていいんですか!!」

 

言い出した俺が、義援金や物資を集めるべく全国を廻ることになった。

 

f:id:smilehousejapan:20100221110637j:plain
f:id:smilehousejapan:20091107130300j:plain
フィリピンの特産物を販売したりして義援金を作った
f:id:smilehousejapan:20090928123552j:plain
f:id:smilehousejapan:20090930132347j:plain
一心不乱にボランティアをした。金にならないのに俺が人助けをするなんて

 

 

 

すごい出会いがあった。

家が流されて、着るものもない子どもが俺の前に現れた。

俺は子どもに服を手渡した。

そしたら、その子どもが俺の手を握って離さない。

 

f:id:smilehousejapan:20090930154013j:plain

本当に驚いた。

 

 

気持ちが悪くなった。

「なんだよ」と言ったら、フィリピンの言葉でなんか言った。

スタッフが「ありがとう」という意味だよ。と教えてくれた。

 

 

俺はその晩泣いてしまった。

いい加減な気持ちでボランテイアに参加したから。

もっと真面目にならないといけないと、あの子どもからそう教わった気がした。

 

 

この出会いは今考えると、俺の人生を変えてしまったくらい大きかった。

 

 

フィリピンにありがとうを言いたい。

 

 

下記バーナーのクリックを押してください。

ご協力をお願いします。

 日本ブログ村に参加しています。

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 発達障害へ
にほんブログ村

 

 

いつもご協力をありがとうこざいます。

    1位でいると新しい人たちが訪問してくれます。