発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

 ADHDとアスペルガーで不登校だった僕 ヒロ 20130123記事再掲

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       フィリピンダバオ市でボランテイア活動に励むヒロさん2013年

 

 

16歳から13年間支援をしてきた青年がいました。

〈程度の悪いアスペな俺〉と自分のことを名乗り、ブログを2013年から2019年まで書き続けてくれました。

 

 

たくさんの人たちから応援をしていただき、フィリピンで高校を卒業し、大学に進み就職をしました。

 

 

彼は日々の出来事を赤裸々にブログに書き綴っていきました。

当事者が何を考え、どんな支援を必要としているのかを多くの人に伝えました。

彼のブログに大勢の方が共感をしてくださいました。

 

 

その当時は1日5000人前後の人たちがブログを訪れてくれました。

現在は1000人を切っています。

 

 

相談や支援の依頼をされる方の多くが、いまだにヒロさんの記事を読んで励まされたと言ってくださいます。

今一度、彼のブログ記事を掲載することにしました。

 

 〈自己紹介〉

 

 

僕はヒロといいます。

24歳です。

15歳の時に、アスペルガーADHD併合型だと診断されました。

 

 

 

その当時はなんだそれとしか思っていなかったけれど、支援を受け始めてから、自分が苦しんでいることの多くはそこから来ているのだとわかりもしたし、重い十字架を背負っている気もしました。

 

 

 

(僕はクリスチャンだから、「重い十字架を背負っている」という言い方は適切な言い方ではないのはわかっていますが、今回はご勘弁を。)

 

 

でも今では、さんざん苦しんできた自分を客観的にみることもできるし、「アスペルガーADHD」ありがとうとさえ言えるまでになった訳です。

 

 

 

実社会の中で、生きていく上での困難さは何も変わってないけれど、捉え方、受け止め方がかわったのです

 

 

 

 

僕は中学もろくに行っていなくて、高校はゴールデンウィーク前で中退しました。

それからフィリピンでやり直しを決断してフィリピンで高校を卒業しました。

 

 

 

正直高校を卒業するのは僕にとって大変でした。

しかし、これが僕にとっての最後のチャンスだと思っていたので、全精力を振り絞り頑張りました。

 

 

 

卒業後はフィリピンの貧しい子ども達の為に何か役立ちたくて、大学に進みました。

 

 

 

ボランティアで支援しているフィリピンの子ども達からたくさんの笑顔や声かけをもらいました。

 

 

 

「ゴミとか死んでしまえ」とかクラスの人たちから言われ、無視され続けた僕が、生まれて初めて「ありがとう」と言われたのです。

本当にうれしかったです。

 

 

 

今まで日本では一人も友達ができなかったけれど、こちらでは友達もそしてガールフレンドもできて、今が一番楽しいです。

 

 

 

僕は自殺未遂をした人間です。

その頃は生きていく上での希望は何も感じることはできなかったけれど、今は生きていて本当に良かったと思っています。

 

 

 

これから僕たちの日常生活のことを書き記していきたいと思います。よろしければおつきあいください。

どうぞよろし巻くお願いします。

 

 

 

 

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