今、過去を振り返って書いています。
僕は20才で海外に行く経験をもらった。
フィリピンという国に関しては知識がほとんどなかった。
ただ汚くて貧しい国。
興味はなかった。
でも選択肢はその国しかなかった。
いやいや、行った。
部屋で菓子を食いながらゲームをしていた方が楽しかったからね。
この後、暴動発生5000人の人たちが支援物資を求めてあちらからこちらから来た。
行ってすぐに後悔した。
台風通過後のボランティア活動に従事するなんてかんべんして欲しかった。
地獄絵図が目の前に横たわっていた。
配給された食品や衣服に人々が群がる。
早く確保しないとなくなってしまうという焦りから、被災された人々の中で暴動が起きた。
僕たちはすぐに避難した。
その日の出来事は一生忘れられない。
一日で20年間分働いた気がした。
服も何もかも流されてしまった人たちに皆様からいただいた古着を配るのが僕に与えられたミッション。
やる気なしでやった。
1人の全裸の子どもが目の前に現れた。
急いで下着がその子に手渡されたんだ。
知り合いの人なんだろうな。
奇跡の1枚と認定したい写真 おいら20歳の時
パンツだけはいた子どもにおいらは古着を手渡した。
「はい、はい、受け取ったら早くどけよな!!」
ところがその子どもが古着を受け取った後に俺の手を離さないんだ。
「気持ち悪いな、クソガキ離せやこらあ。」
その子どもを見たら、目の中に涙をいっぱい溜めていた。
「えっ」と俺はその時経験したことのない感情が、体を流れたのを感じた。
しかし、その感情の正体を探ることまではできなかった。
ボランテイァが終わってもおいらはイライラしていた。
「日本で役ただずな俺がここに来ても同じでしょ。」
機会があれば、スタッフに当たりたかった俺。
俺はどうせ生きている価値がない人間だからな。
いつもいつもイライラしていた俺。
被災した現地から車に乗って宿舎に帰ろうとしてた時、たくさんの子どもが俺たちを見つけて走り寄って来た。
「大変だ!!暴動が再び起きた。」
俺は叫んだ!!
「ヒロさん落ち着いて!!」
スタッフが叫び返した。
子どもたちはスタッフの胸に飛び込んできた。
手を取ってじゃれ合う子ども。
スタッフの背中におんぶされたがっている子ども。
中には親と生き別れてしまった子どももいたと後で聞いた。
俺はそういう触れ合いが苦手なので「ご遠慮します」と言って車の中に避難した。
今思い返せば、どういう反応を子どもたちに示せば良いのかわからなくてパニックになってしまっていたんだ。
「知らないことはできません。BY バカヒロ。」
だから教えてくんなきゃダメでしょう。
事前にね。
こんなふうに子どもたちが、嬉しくて、また会いに来たら僕はどういう言葉を発して、どんな顔の表情をして、態度はどうすればいいのか。
合計してどのくらいの時間そのような状況を継続する必要があるのかなど。
できたらホワイトボードを使ってやってほしかったですね。
明日に続きます。
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