フィリピンで大学にはいり、1年経った頃から、小、中、高のことを思い出さなくなっていることに気づきました。
まあ、英語の授業について行くことに必死だったこともある。
それと、友達ができました。
それが大きかったかな。
彼女ができました。
好きになる相手が見つかり、そして告白することは、その時の自分にはとても大きなイベントに思えていました。
高校を中退してから長くひきこもっていましたから、(途中アルバイトもしたけれど)。
長くひきこもると、もう結婚なんか考えることもできません。
それが、まあ結婚も考えることまでできているのですから。
しあわせなんです。
彼女を目の前にすると涙が出てくるんです。
こんな最低な人間を好きになってくれてありがとう。
いや、ありがとうございます。
ほとんうにあなたは僕の救世主です。
全ての全てです。
そのくらい僕には大きな存在なのです。
そりゃあ、サポートセンターの支援とは比較できませんが、それでも彼女が僕の全てを変えてくれたと言ってもいいのです。
母親からもらえなかった承認を、彼女からもらうことで、埋め合わせができたのですから。
青木さんに聞きましたら、やはり、過去にもそのような青年たちがいたそうです。
1番の支援者は、サポートセンターではなく、好きになることができた彼女なんです。
青木さんには、「こんな風に書きますがよろしいですか?」と聞きましたら、「それが真実だからそれで良い。」と言われました。
本当は、お母さんからの承認が1番強いと思います。
まあ、うちの母親の場合は、以前にも書きましたが、鬱的な症状が強く出ていましたから、承認なんかもらえませんでしたね。
それと嫁と姑で、僕の問題でいつも大喧嘩をしていましたから。
承認どころではないですよ。
そして僕本人も、勉強はできない。
クラスのみんなと仲良くできない。
(僕はみんなと仲良くしてもらおうとは一応、努力はしましたけれど、まあ他のクラスのみんなが僕を毛嫌いしたわけです。)
なんかトンチンカンな、受け答えを家族にする。
そんなこんなで、ほとほと、息子には手を焼いていたでしょうね。
だから、そんなこんなで、母親から離れることで、僕は楽になりましたよ。
母親も僕が大学に行ったことで、気が楽になったみたいです。
みんな愛する人。
愛してくれる人を探したらいいと思います。
相手はサポートセンター以上の支援をしてくれますよ。
いや、サポートセンターの支援も信じられない支援ですけれど。
一途に僕のことを思ってくれる彼女の愛は、それはそれはとても強いのです。
しかも僕より10歳近く下でスペイン系の血が混じっているので信じられないくらい美しいのです。
はい僕はもうメロメロです。
小学生の時のことを時々思いだすんです。
それは、僕の周りを男連中が囲って、殴る、蹴るを思う存分に楽しんでやるんです。
僕は口が切れて、血が垂れてきて、それを見たクラスの女の子が悲鳴をあげて、その声にもっと興奮した連中がもっと蹴ったり、唾を吐いたりした。
その時のことは本当に辛かった。
早く殺してくれと思っていた。
どうせ僕はみんなから嫌われているんだから。
それを彼女に話したら、「他の人がどう思うとも、私はあなたのそばから離れない。」と言ってくれたんです。
その言葉を聞いてから、もう昔の嫌な思い出は、出て来なくなりました。
実際は、勉強がとても難しく感じた時なんかは、「やっぱり僕はダメなんだな。」と思って落ち込んでいました。
そんな時には、嫌な思い出が出てくるんです。
でもすぐに彼女に電話です。
「今から、行くから待っていて。」
はあ、思い出しても涙が出ます。
もちろん青木さんも「今から行くから、待っていて。」と言いますが、やっぱり禿げた加齢臭のおじさんより、若くて綺麗な女性の方が嬉しいのです。
青木さんごめんなさい。
また明日。
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