英会話の家庭教師を一年つけて、英会話にならしてから、英会話学校に行くという支援計画を立てていたスタッフたち。
英会話学校は高校や大学と違い、人間関係はとても緩やかだけれど、そのくらいが俺には一番良いと判断したスタッフたち。
しかし、まさかインターナショナルハイスクールに行きたいと言い出すとは思っていなかったスタッフたち。
どうやって、インターナショナルハイスクールを諦めさせて、英会話学校に行かせるのかを色々と考えて出た答えは、見学に行かせるということだった。
実際に授業風景をみればおじけづいて、インターナショナルハイスクールを諦めるだろうと考えたんだ。
そして、俺は見学に行かされた。
インドイ人の学校、英国式の学校、トルコ人の学校、中国人の学校、ドイツ人の学校
どの学校も、馴染めなさそうだった。
俺はとても落ちこんだ。
やれば勉強はできるんだという俺の思いは実現しそうになかった。
あまりの落ち込みように、青木さんが決心したんだ。
最後に、僕が通えそうな学校の見学をしたんだ。
その学校は僕たちが住んでいたマニラから飛行機で南へ2時間かかる場所にあった。
日本からはありえない遠さだった。
こんなんならアメリカの高校に行かせて欲しいと思った。
グアムもハワイもアメリカ本土よりは近い。
そんな辺境の地にあるインターナショナルハイスクールには行きたくはなかった。
まあ、青木さんがなんとか行かせてあげるように考えるからと言って、俺を持ちあげて南の果ての島に連れてきた。
8年前だ。
8年前にマニラはすでに車の洪水だった。
しかし南の果ての島には車はほとんどなかった
なんとものどかな南の果ての島。
こじんまりとしたその島の雰囲気がとても俺にはあったんだ。
そして、肝心な学校。
見学に行った時、たくさんの生徒たちが、俺を見て反応してくれた。
JAPAN JAPANと叫ぶやつ。
ドラえもん、ナルト、ドラゴンボール、月に変わってお仕置きよ!!
知っている日本語をこれでもかと連呼する奴。
俺はその光景を見て涙が出そうだった。
「青木さん、俺ここにしますわ!!」
「よっしゃあ、やるぞおーーーーーー!!」
周りを気にせず、でかい声で叫んだ俺がいた。
その時、俺はすでに20歳を超えていた。
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