発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

中学完全不登校の僕が変わるために。ミキ

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僕はスタッフさんに色々と勉強を教えてもらった。

英語と数学と物理です。 

 それで僕はフィリピンの高校に行きたいと思いました。

インターナショナルハイスクールです。

 

 

 

色々な国の生徒がいることや、年齢も様々だったので自分にはそういう環境の学校だったらいけると思ったからです。

ヒロさんのブログを読んでそう思えたのです。

また、ヒロさんと実際にお会いしてそれは確信に変わりました。

 

 

 

フィリピンでこの団体の支援を受けながらインターナショナルハイスクールに通うということです。

 卒業後はアメリカの大学に進学希望でした

 

 

 

僕の父親は会社を経営しています。

大きな会社ではありませんが、一人っ子でしたから、父は僕に期待しました。

 

 

 

それが小学校から不登校で、中学は全く行っていないわけですから、がっかりしていました。

「やる気がないだけじゃないのか。」とよく僕に聞いてきました。

僕は何も答えられませんでした。

 

 

 

 

僕のことで両親はよく喧嘩をしていました。

父親から一方的に母親に対しての暴言があったのです。

聞いていてとても辛いものがありました。

 

 

 

時には暴力も出ました。

みんな僕の責任だと感じていましたので、頑張って父親を安心させたいと思っていました。

 

 

 

そんな感じだったので、青木さんに出会えたことは、僕や母にとっては大きな希望でした。

 

 

 

しかし、父は僕の成長を待ってはくれませんでした。

両親は離婚して、僕は母と一緒に暮らすことになりました。

離婚後、母親は鬱になり寝込むことが多くなってきました。

 

 

 

僕はフィリピンのインターナショナルハイスクールに通い、卒業後はアメリカの大学に進んで、父親を見返したいと願っていました。

 

 

 

そうすれば再び両親は仲の良い夫婦に慣れると思ったのです。

 

 

 

しかし、僕を取り巻く状況が変わってしまいました。

父親からの経済的な支援がなくなってしまったからです。

母親は、実家に応援をお願いしましたが、それでもインターナショナルハイスクールを出て、アメリカの大学を卒業するまでの経済的な余裕はなかったのです。

 

 

 

フィリピンで支援を受けてインターナショナルハイスクールを卒業すること

アメリカの大学に進学して卒業すること

 

 

 

2つを叶えることができないとわかったので、今後のことについて何が最善なのかを母と僕と青木さんとで一緒に考えました。

 

 

で、僕にとって1番大切なことは僕が変わることでした。

僕が変わらない限り、この先何も成長できないと思っていましたから。

だから変わるしかないのです。

 

 

 

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