高校入学時に試験を何科目か受けた。
その結果高校通学は1年間で良いと判断してもらった。
つまり成績が良かったということだ。
日本で支援を受けているときに数年に渡り、家庭教師に暴言を吐きながら、ときには暴力を出しながらも続けた勉強の成果が出たのだ。
高校では初めての友達ができた。
海外では日本のアニメやゲームが大人気なので、日本人である俺の周りにはいつも人だかりができていた。
しかも、アニメやゲームといえば、俺ですよ。
自慢じゃないがオンラインゲームの世界では、ちっとは名前が知れた俺です。
まあ、後で日本から来た大統領というニックネームの奴には負けたけど。
で、高校生活はこれにて一件落着卒業した。
青木さんたちも満足していた。
で、俺は大学で勉強することにした。
流石に、青木さんたちスタッフは、賛成してくれなかった。
あの当時、青木さんたちは、障害者枠で俺を日本で就職させようと考えていたんだ。
流石に、まだ4年間毎日の支援をするということは、不可能に近かったからね。
お金の問題やスタッフの問題など解決しなければならないことは山ほどあった。
俺に、勉強支援と大学生活内での支援をしなければならないのだ。
今まで以上に大変な状況になる。
しかも、親からは、「お金がないので大学にはやらせられない。」との返事が来た。
青木さんたちは色々と考えたんだ。
そして結論は大学を卒業させるということ。
1、フィリピンの大学授業料は年間で10万円ほど。
教科書なんかは中古で買えば二束三文。
制服はスタッフがミシンで作ってくれた。
2、日本中を講演会で回って、自分に対する支援を集めた。
日本への出稼ぎだ。
で、俺はこの団体のサポートスタツフとしても契約してもらえた。
ということで、大学に関する費用は解決して、俺は晴れて大学生になった。
みなさん、俺は小、中と不登校だったんです。
いじめられてたんですよ。
母親の財布から金を取ってこい。
CDショップから万引きしてこい。
腹が減ったから、おにぎり取ってこい。
とまあ、ひどい目にあいましたよ。
逆らえばリンチですよ。
それで、怖くなって学校にいけなくなったわけです。
それと、頭が悪かったので中学出た時も2桁の足し算引き算もろくにできなかった。
だから学校に対して良い印象なんか何もなかった。
そんな俺が高校どころか大学にも行きたいなんて、すごい変わりようでしょう。
人は変わるのです。
その機会を与えられたらね。
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