1年間、英会話の家庭教師以外に算数の先生もつけてもらった。
二桁の足し算と引き算から俺は学び直した。
「死んでも勉強なんかするものか」と言っていた俺が突然変わったのかと疑問に思う人もいるでしょう。
はい、その理由。
1、スタッフにとても俺のことを可愛がってくれる女性スタッフがいたんだ。
俺は恋心のようなものをその人に感じていたんだと思う。
俺が20歳の時だから今から8年前の写真です。時は流れていく。
貧困家庭に生まれ育った彼女。
勉強をして、良い仕事を見つけて、家族を早く楽にさせようと考えていた。
特待生で医学部に進学。
大学の費用は心配なかったけれど、祖母や難病を患っている妹の病院代や薬代また、下に3人兄弟がいて彼女が働いて助けるしかなかった。
父親は不慮の事故でなくなっている。
彼女は大学を諦めて朝から夜遅くまで、市場、ベビーシッター、屋台と働いた。
そんな姿をキリスト教会の人たちが見ていて、僕たちの団体にメンターとして採用できないかと打診が来たんだ。
青木さんは採用した。
そんな彼女が僕に寄り添って、姉のような存在として、バカな弟の俺を導いた。
スタッフと一緒にアイススケートに行った。とても嬉しかったな。
「過去を振り返るより、これからのことを考えなさい。」
「あなたを傷つけた人たちを許しましょう。」
彼女は僕を教会にも連れて行ってくれた。
僕はいつしかボランティアを率先してやるようになっていた。
強い憎しみや怒りが少しづつ僕の中から消えていった。
みなさんからいただいた古着を整理してるところです。7年前くらい
頑張って子供たちにさしあげる古着をチェックしているところです。
子どもの笑顔が嬉しい。小さな支援でもいっぱいの笑顔を僕にくれる
ありがとう、フィリピンの子どもたち。 おい!! ちんこ触ってんじゃねえよ。
その彼女はそれからシンデレラストーリーの主人公となる。
書くスペースがないから今現在のことを書きます。
今はクゥエートの病院の看護部長をしています。
給与は信じられないくらい高給取りです。
彼女の夢だった、家をお母さんにプレゼントして、他の兄弟たちも全員学校を卒業させました。
「ヒロさん、信じて前に進みなさい。」
去年のクリスマスにメッセージが彼女から届いた。
僕はたくさんの人の愛情に囲まれて生きながらえています。
もちろん勉強はなかなか進まなかった。
家庭教師がどれだけ俺の悪態に我慢していたか。
今思い返せば本当に申し訳なかったと思う。
自分が作り出したわけでもなく、より良い環境をサポートセンターのスタッフたちが作ってくれた。
それが俺が変わった一番の理由だと思うんだ。
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