
東大で不登校って聞いたことないのではないですか?
東大までいきながらしかも優秀な成績だったのに不登校になった。
不登校というと普通は小学校や中学校の期間のことを想像しますよね。
東大を出た後に進んだ東大大学院で不登校って・・・・。
だれも想像すらできないでしょうね。
だから余計にはずかしてく仕方がなかった僕です。
東大大学院の研究室でまわりの研究生仲間から、毎日の様に責められつづけれていた僕です。
日が経つにつれて彼らの言動が激しさを増してきました。
とうとう怖くなって大学に通えなくなった僕です。
だからといって僕は東大を恨んではいません。
当時仲間だった研究生や教授に対しても恨みつらみも何もないのです。
悪いのはみんなを嫌な気持ちにさせてしまう自分が100%悪いのだと思っていましたから。
ヒロさんはいじめられて辛い気持ちになっても学校に通い続けました。
その頑張りもいじめによる怪我で気持ちが下がってしまい、中学校に通えなくなりました。
「死んでも学校なんか行くものか。勉強なんかもしないぞ。」と言っていたヒロさんは、フィリピンのインターナショナルハイスクールを卒業後、大学に進み、今では幸せな家庭を築いています。
彼は学校が好きでした。
みんなと騒ぐのが特に好きでした。
しかし、みんなはヒロさんのことが好きではなかったのです。
青木は小学校3年時に同級生に抑え込まれて、後頭部を鋭利な刃物で何度も刺されました。
病院で治療を受け数日間入院しました。
退院後にはそれでも学校に通ったのです。
「どうしてそれでも学校に戻ろうとしたのですか。」と僕は聞きました。
「授業で先生の言っていることがわからなかったけれど。先生や同級生から何度も注意されていたけれど。それでも学校は楽しいところだった。」
「いじめられるのは嫌だったし、病院に行く程まで怪我をさせられたのも怖かったけれど、家で1人でいるのはもっと嫌だった。みんながいるところにいたかった。たとえみんなに嫌われていても。」
僕はヒロさんや青木が言っていることがわかります。
僕は小学校から高校まで不登校ではありませんでしたが、それでもみんなとうまく歩調を合わせられなくて、学校に行きづらいと感じた日々はありましたから。
それでもみんながいるところに僕もいたかったのです。
1人は嫌でした。
僕らはみんな同じ思いなんです。
不登校になったのは学校のせいでも、同級生のいじめでもなく、自分がみんなと違っていたからだって。
だから僕らは学校を恨んでなんかいないのです。
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