発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

不登校だった僕が、昔の僕に言いたいこと テル

 

 

結論から言うと、〈じっくりと構えて、来るべき時に備えろ。〉ということです。

不登校になると、とにかく焦ります。

当事者も、そのご両親も焦ります。

 

 

「なんとかして学校に戻さないと。」

「勉強が遅れてしまう。」と親は心配で仕方がないのです。

「みんなに離されてしまう。」と不登校だった僕は不安になりました。

 

 

だから何がなんでも学校に戻さないとと両親は思うわけです。

 

 

担任の先生が訪問してきます。

母親が担任と面談で相談します。

保健室の先生が訪問するのか、カウンセラーが訪問するのか?

 

 

その次には、教室でなくていいので、学校の保健室か相談室にこれないかと聞いてきます。

別室登校になるのです。

 

 

それでも来れない時には、学校の外にある適応指導教室へ誘われます。

 

 

それでも行けないとなると・・・・。

気づいたら、2年、3年とたってしまっています。

僕的に言えば、時間がたつほど教室に戻ることは難しく感じましたね。

 

 

そして、中学になる時には、諦めが先にたちました。

 

 

高校なんて絶対に無理。

だから通信制高校しか選択肢はなかったですね。

通信制高校に行ったのは、せめて高校卒業程度の資格がないと、この先生きていけないとと両親が思ったからです。

 

 

でも通信制高校に行くということは、僕の抱える問題の根本的な解決には何も役立ちはしませんでした。

途中で行かなくなったし・・・。

 

 

まあそれからひきこもったわけです。

22歳までひきこもって、この団体に出会ったのです。

 

 

そんな僕が不登校だった昔の僕に言いたいのです。

どうしたら良かったのかって。

 

 

今の僕ならこう言います。

「小学校・中学校は捨てていいから、高校勝負だ!!」って。

 

小学校、中学校に行けなくても良いので、その時間を家庭教師を雇って個別支援に充てるのですよ。

全教科個別支援です。

体育も音楽も技術も家庭科も。

 

 

それでみんなに遅れをとったという感覚はなくなります。

いいえ、みんなより随分と先へ進んでいることになります。

そのことで自信を持てずに不安を感じるということはありません。

それより自信を持つことができますよ。

 

 

問題はみんなとうまく関わって行けるようになることですよね。

はい、それも僕には考えがあります。

というか、僕が受けてきた支援を皆さんと分かち合いたいということです。

 

 

それは明日書きますね。

 

 

 

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