家族とは話せましたかエイジさん?
小学校から学校に行けなかった。
中学も高校も(通信制高校に所属はしていました。所属していただけで、終了はしていません。高等学校卒業程度認定試験を受験して単位をとりました。)
そしてみんなが大学に入るときに、完全に自室にひきこもってしまいました。
学校に行けなかったということは僕にとってはとても苦しいことでした。
みんなが行けている学校に僕だけ行けていない。
もちろん全国的に見れば僕だけではないのですが。
学校に行くことができない人たちがクラスの半数を占めている。
それならば、僕は焦ることはなかったと思います。
学校の次には社会参加が待っています。
学校にも行くことができないのにどうして社会参加なんかできるのでしょうか?
それでもうダメだと思ったのです。
居場所とか寄り添い外出とか色々な支援があることはわかっていました。
母親が色々な相談会に参加して、もらってきたパンフレットを見せてくれましたから。
母親と会話がそれほどあったわけではありません。
母親が食卓テーブルの上に置いたパンフレットを僕が深夜に部屋から出て来て見たという程度です。
でも正直、関心が持てなかったです。
今その理由を考えてみると、〈なんかしてあげるという上から目線〉を感じてしまったからです。
もちろんパンフレットの内容は優しい文言が並んでいました。
BBQやソフトボール、クッキングなどを楽しそうにしている写真が並んでいました。
いやいや、そこが違うんですよ。
みんなと仲良くなりたいというわけではなくて、みんなに追いつき、追い越す為にはどうすれば良いのかを知りたかったんです。
もちろん、中にはクッキングやBBQを楽しくやりたいという不登校の人もいるんでしょうね。
僕は違うというだけです。
このブログの過去記事を読んでいたら、僕と同じ考えの人たちがいて、さもありなんと思いました。
なんで不登校やひきこもっている人たちは、こんな支援が欲しいんだろうと勝手に想像してしまうのでしょうか?
青木さんに言わせれば、「ひきこもった経験がないから、想像するしかないんだよ。
支援に携わっている人たちは皆さん一生懸命なんだよ。
そこはわかってほしい。」とのことです。
なんとか急いで、みんなと対等に渡り合えるようになりたい。
みんなの輪の中にいたいのです。
同情なんていりません。
とにかく自信をつけて、みんながいる世界に戻りたかった。
日本でそれはできなかったけれど、僕はフィリピンで自信をつけて、社会に戻ることができたのです。
とにかく幸せです。
ありがとう、フィリピン。
ありがとう彼女。
ありがとう青木さんとそのスタッフの皆さん。
会社の勤務が始まるまでまだ時間がありますので、お手伝いさせてもらいます。
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