発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

生きている意味がわからなかった私です。エイジ

暖かな太陽と体を冷やす水 生きていて良かった



 

私は30年間、自宅にひきこもっていた男です。

つまり、30年間他人に見られる生活をしてこなかったのです。

他人の目を気にしなくなると、何もかもどうでも良くなってしまいます。

 

 

他人との会話ができなくなってしまいました。

変な癖がついてしまいました。

健康を失ってしまいました。

小汚い人間になってしまいました。

生きる希望を失ってしまいました。

 

 

 

あのままひきこもっていたら・・・・。

ひきこもっている状況が耐えられなくて、死にたいとは思っていました。

でも死ぬのが怖かったです。

寝ている時に痛みも感じずにそのまま死んでしまいたいなんて思っていました。

 

 

家族は私に優しくしてくれていました。

でも、私はそんな家族に優しく接することはできませんでした。

心の底では、申し訳なく思っていました。

結婚もしてなくて、親に子どもの顔を見せることもできない自分は、やはりこの世からいなくなった方がいいのかなとも思っていました。

 

 

生きている意味がわかりませんでした。

 

 

そんな時に青木さんが家に来てくれました。

最初は何しに来たのかよくわからなかったです。

でも、その後色々と考えて「この人なら、私を今のこの状況から救い出してくれるかな・・・。」と期待を少し感じました。

 

 

そう思ったら、いてもたってもいられなくて、青木さんから渡された紙に書いてあった携帯番号に電話しました。

そうしたら、「すぐにチケットを買って日本に戻ります。」と青木さんが言いました。

 

 

2日後に青木さんがもう一度自宅に来てくれました。

それからすぐに私が幸せになった訳ではありません。

4年くらいかな?支援センターに通っていました。

でもそんなに大きな希望はありませんでした。

毎回同じようなことをやらされていたからです。

 

 

そんな中、私の人生が大きく変わったのは、フィリピンに来てからです。

私にはフィリピンが合いました。

ボランテイア活動で初めて、支援している小学校の子どもからありがとうと言われたことはとても嬉しかったし、日本ではできなかった友達もできたので良かったです。

 

 

パンデミック前に日本に戻り、再びフィリピンに帰ったのは、昨年の2月です。

それから1年半が過ぎました。

私は私なりに今の私に満足しています。

 

 

もちろん青木さんはじめ多くのスタッフたちからは、毎度のダメ出しが続いています。

でも、あの30年間の日々と今を比べたら、全く違う現在に涙が出るほど嬉しく思います。

 

 

ここはフイリピン。

日本のように何事もうまく進みません。

多くは青木さんにお任せしていますが、私でもフィリピンと日本の違いに戸惑いストレスを感じる日々です。

 

 

でも繰り返しますが、私は幸せです。

毎朝起きて、今日もまた同じ1日が始まるのかとため息をついていたあの日々ではないのです。

 

 

さあ、今日も1日、精一杯頑張ろうと思える日々なのです。

ありがとうございます。

スタッフの皆さん、ブログを読んでくれている皆さん、ありがとうございます。

 

 

 

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