日本に帰国してからは東京のオフィスにすぐに挨拶に行きました。
正式な出社前なのですが、やはり不安になったからです。
今までフィリピンで大学に行きながらインターとして3年近く通っていた会社なんです。
もちろんパンデミックの最中もオンラインで仕事はしていました。
僕にとっては慣れている会社なんですが、日本に支社を置くことでまた新しい日本人の社員が入社してきたわけなので、不安になったんです。
フィリピン人はじめ、外国人には不安は感じませんが、日本人にはまだ不安を感じます。
それで1日でも早く会社の雰囲気を知りたいということで、出社したのです。
それがなんかすごいやる気があると会社の社員に評価されて嬉しかったです。
日本人の社員は数名です。
いずれも違う会社からの転職組の人たちです。
つまり即戦力なのです。
僕のことはすでにフィリピン人の社長からみなさんに伝えられていたようで、「日本で大変な目にあったのに、諦めずに這い上がったんですね。」と日本人社員に言われて握手を求められたことにはとても驚きましたし、涙が出るほど嬉しかった。
またある日本人社員の人から「息子が不登校気味で心配している。落ち着いてからでい良いので、よかったら一度自宅に来て息子に会ってくれないか。」とも言われてもっと驚きました。
「テルさんは不登校の人やひきこもっている人たちの希望の星なんですね。」と言われてまた涙が出てしまいました。
社員の皆さんの前で就業中に泣いたりするのは良くないと思い、「失礼します。」と行って、トレイで泣きました。
突然のことで気が動転してしまいました。
中々興奮がおさまらなかったので、青木さんには悪かったのですが、青木さんに電話しました。
電話口に出た青木村の声は、病人の声でした。
しかし、僕は自分の中に溜まっていたものを吐き出さないと、気がおかしくなりそうだったので、構わず、一方的に青木さんに話しました。
話し終えて青木さんが、「よかったね。」と言ってくれて、また僕は泣いてしまいました。
「本当に良かった。良かったよ。頑張ったな。大変だったな。」と僕は独り言を言って「ありがとうこざいました。」と青木さんに伝えて電話を切りました。
感謝です。全ての皆さんに感謝です。
僕は死ななくて生きています。
生きているんです。
死んでしまいたいとずっと思っていました。
何も希望がありませんでしたから。
すーっと長い時間自分の部屋に閉じこもり、カッターで手首を切るまねをしたり、コンパスの先を腕に刺したりするしかありませんでした。
あの時に今の自分は想像もつきませんでした。
たくさんの人たちから励ましを受けて、今の自分があります。
お返しをしたいと思っていますが、今は仕事で忙殺されていて、何もできません。
不定期にはなりますが、せめてブログだけでも書き続けたいと思っています。
希望はある。
諦めない限り。
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