この団体の支援を受けながらフィリピンの高校を卒業して、その後はアメリカなどの国の大学を卒業する。
そしていくつかの会社で経験を積んで、父親の会社に入る。
それが僕の計画でした。
フィリピンに行き、私立高校とインターナショナルハイスクールを見学して、僕の思っていた以上に良い印象を持ちました。
とにかく、僕はみんながいるところに戻りたかったです。
このまま1人でいることに強い不安を感じていました。
社会に出る年齢になっても、僕は社会でうまくやっていけないだろうと感じていました。
人との関わり方がさっぱりわかりませんでした。
人に関わることに強い不安だけを感じていました。
だからフィリピンでもう一度やり直すという希望にかけたんです。
しかし・・・・・・。
日本に帰国したら、母親から離婚の話を聞かされました。
父親からの支援の話もなくなってしまいました。
母親は実家に僕の学費を頼んでくれました。
しかし、その費用ではフィリピンで支援を受けながら私立高校を卒業し、アメリカの大学を出ることは不可能だということがわかりました。
その時は、ご飯が食べられなくなってしまうほど、落ち込んでしまいました。
中学完全不登校の僕がもう一度やる気を出して、希望を見ることができたのに、それがなくなってしまったわけですから。
青木さんはすぐに、今の僕が何を最優先するべきかを一緒に考えてくれました。
それと母親の様子がおかしくなってしまいました。
起きることができなくなって、一日中寝込んでいたり、なんども泣いていたりしていました。
これ以上母親に迷惑をかけてはいけないし、それ以上に今度は僕が母親のそばにいなければならないと強く感じました。
それで、フイリピンの高校もアメリカの大学も諦めることができました。
ただ、その時の僕は、人との関わりに不安を感じていました。
僕には人と関わることの練習が必要と思い、フィリピンに何度か滞在して、経験を積んで自信をつけるという選択をしました。
そして就職して、早く母親を安心させなければとも考えました。
青木さんとも色々と話し合った結果、僕は、高卒認定試験を受けて、その後専門学校に行くことにしたのです。
専門学校卒業後は、就職としました。
それまでは、3ヶ月に1度フィリピンに1ヶ月間滞在して青木さんたちの団体の支援を受けることにしました。
僕にはそれしか選択肢はありませんでした。
こうして、僕の社会復帰への一歩が始まりました。
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