発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

さようなら東大さん。エイジ

        



 

東大さんが日本に帰ります。

と言っても、フィリピン滞在を諦めたわけではないのです。

日本で支援する必要がある人が出てきたので、日本に帰るのです。

 

 

私は、その人とは会ったことはありません。

青木さんから、「彼はフィリピンでの支援が終了したから、本人が特定されない程度にあなたに伝えるよ。」と彼のことを教えてもらいました。

長い間ひきこもっていたけれど、青木さんや東大さんがI年間訪問し続けて、信頼を勝ち取り、フィリピンに連れ行って支援してきた人です。

 

 

とても頑張り屋の人で、一生懸命英語を勉強しました。

勉強以上にフィリピン人スタッフとボランティア活動をしたり、遊んだりして、時間をかけて人に慣れることをしてきました。

そして自信をつけた彼は大学に通いました。

 

 

大学に通っていたのですが、やはり不安な気持ちが完全になくなったわけではなかったそうです。

ですから、同じ大学に通う女生徒をサポーター役として彼の友達になってもらったのです。

毎日その彼女が青木さんたちに彼の様子を報告してくれていました。

 

 

 

なんとか大学を卒業させて、仕事に就くと言うのが、本人と青木さんたちとの共通の目標でした。

支援の効果があったのか、彼はI日も休まず大学に通っていました。

 

 

しかし、コロナのパンデミックが来たのです。

大学は休みとなり、街には軍隊が出て外出禁止令がフィリピン国内に発令されました。

食糧買い出しのために家族内で1人だけが数時間だけの買い物を許されるという、世界中見渡してもありえないくらい、厳しく国民を統制したフィリピンです。

 

 

青木さんたちは支援する学生のために手分けてして、食品を購入して学生の部屋まで届けていました。

 

 

やがて、大学はオンライン授業となりました。

スタッフは彼のモチベーションが気になっていました。

しかし、彼はオンライン授業をI日も休まず続けたのです。

 

パンデミックの外出禁止は2年近くに長引いていましたが、少しずつ外出できる時間が増えてきました。

毎日の様に青木さんたちが彼を訪問して、外出を促していたのですが、彼は外出することで、コロナに感染するという不安が強く、全く外出できなくなりました。

 

 

明日に続きます。

 

 

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