発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

フィリピンに来てから。エイジ

どうせ後悔する人生だったら、やれるだけのことをやりたい

 

私は出来事をスタッフや青木さんに逐一報告しています。

それで、声をかけた女性が交番に駆け込んだ話も青木さんに報告しました。

「自信ができたから、女性に声をかけれるまでになったことは良いことです。でも、相手が嫌がっていることに気づかなかったことは反省する必要がありますね。」と言われました。

 

 

何が間違っていたのかをスタッフさんたちと話し合いました。

「日本では、街中で異性に声をかけられることは日常的な光景ではないので、今後は声をかけたり、ジロジロと見ないこと。」

「痴漢と間違われる恐れもあるので、女性とは距離を保つこと。」

「電車に乗っていることきも、できるだけ周りに女性がいないことを確認しなさい。」と言われました。

 

 

 

それでもう日本ではそのようなことはしないと決めました。

 

 

スタッフさんから、私に自信がついたので女性に声をかけられたんだと言われて、自信がついたことを自分で再確認しました。

 

 

30年間異性のことを考えることに蓋をしていたのですから、この経験は自分に取ってとても大きなものでした。

 

 

そして私は、フィリピンに長期滞在することになったのです。

最初は英語留学という形でした。

もちろん、セブ市の英語学校に私のようなジジイは私1人でした。

 

 

あとは若い日本人女性ばかりで、英語学校に行くのがとても辛かったです。

しかしこんな私をテルさんはじめ、スタッフが励ましてくれたのです。

 

 

英語を学びながらビザや語もマンツーマンで学んでいきました。

それと社会常識や清潔に心がけること身の回りのことなども学んでいきました。

 

 

時々、こんなことをしてももう間に合わないんじゃないか?と不安になってなかなか寝付けないこともありました。

そんな時には、青木さんに電話して自分の不安を聞いてもらうようにしていました。

 

 

「いつ電話しても良いよ。でも寝ていたらごめんね。」と言われたことは、私に取ってはとても安心できることでした。

 

 

そんなふうにして、毎日を積み重ねていきました。

日本にいた時には、他人の目が怖くて仕方がありませんでしたが、フィリピンに来て誰も私のことを知らないわけですから、周りを気にせずに活動ができました。

 

 

今でもダメなところはたくさんありますが・・・。

諦めずに日々の練習を積み重ねていくことで、自信をつけていったのです。

 

 

本当に諦めなくてよかったです。

諦め続けていたら、今でもひきこもっていたでしょう。

ひきこもり37年間ですか。

 

 

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