発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

30年間ひきこもった私に必要だったこと エイジ

♪ 〜 南国良い所一度はおいで!!

 

私に必要だったこと。

それは色々あります。

要はみんなが知っているのに、自分は知らないことが問題なのです。

常識やマナーなどです。

 

 

それ以外に必要だったこととは・・・。

やはり人との関わり方です。

会話の仕方が分かりませんでした。

 

 

 

「会話の仕方がわからないというのが、どういうことなのかがわからない。」と多くの人は思うでしょうね。

 

 

何も分かりません。

他人との会話ができないのです。

 

 

青木さんは、私の興味ある話題を知っています。

大学に行けなくなる寸前に、私は横浜に旅行に出かけました。

何をしに行ったのかといいますと・・・。

 

 

ナンパをしに行きました。

横浜の中華街で道行く女性に声をかけました。

「お茶でもどうですか?」

 

 

何人目かで「いいですよ。」と言う答えを聞いた時、舞い上がりました。

彼女は「私が好きなレストランに行っていいですか?」と聞いてきました。

「はい。」と答えた私です。

 

 

彼女につれて行かれたレストランでも私はまだ舞い上がったままでした。

この後は、やはり「ホテルのバーで飲みませんか?」と誘うんだ。

と頭の中で予行練習をしていました。

 

 

彼女は何も会話せず、運ばれてきた料理を一心不乱に食べていました。

食べ終わった後、お会計の金額を見て驚きました。

確か2万円ほどでした。

 

 

でも、舞い上がっていた私は、この後のことで頭が一杯でしたので、気前よくお勘定を払いました。

 

 

 

その後、店を出てから彼女がいいました。

「ご飯を一緒に食べて1万円です。」と。

意味が分かりませんでした。

 

 

「どう言うことですか?」と聞き返しましたら、「デート代ですよ。」と言われました。

「ああああああ。そういうことなのか。まあこんな程度なんだな。」と私は我ながら納得して、「ありがとう。」と言って1万円を支払って彼女と別れました。

 

 

「これが今の自分なんだ。勘違いするなよな。こんな男に誰がデートをしてくれるんだ。」

そう言い聞かせて、その後すぐに最終の新幹線で名古屋に帰りました。

 

 

こんなバカな話ですが、自分が経験したことは、饒舌に話すことができるのです。

だから、青木さんから「たくさんの経験をしなさい。」と言われました。

「経験したことを他者と共有して話せばいいんだよ。」とも言われました。

 

 

だから、私はフィリピンに来てからたくさんのことを経験してきました。

今の自分は日本に居た時とは違います。

もう、会話に困ることはありません。

 

 

自分の趣味も開拓しました。

(音楽)(映画)(ダンス)など、ありきたりですが、他の人たちと会話ができるまでになったのです。

 

 

経験したことはわかるのです。

経験したことを他者と共有できるのです。

 

 

30年間私ができなかったことでした。

 

 

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