私は30年間ひきこもりました。
30年間ひきこもったと書いて、あらためて本当に30年もひきこもったのかと疑問に感じる私でもあります。
おぎゃあと産声をあげた子どもが30歳になっているのです。
初めて言葉を話した日。
満開の桜の下の入学式。
異性に目覚めた頃。
中学での反抗期。
高校での思春期。
大学でのコンパ。
不安だった就職活動。
初めての給料。
結婚と出産。
私には何もなかった。
何も。
30年間ひきこもったという人の記事をインターネットで読んだことがあります。
でも、私の様なひきこもりではなくて、ひきこもり気味という感じの人でした。
がっかりしました。
私の様に30年間全く家から出られなかったという人は、私は東大さんしか知りません。
確かに30年ひきこもった人たちはいるのです。
しかし、声を上げるまで回復していないのでしょうか?
30年間もひきこもってしまったら、もう社会復帰なんか無理なんでしょうね。
社会復帰するためにやらなきゃいけないことが山ほどあって、それらをこなすことができないのでしょうね。
私はたまたま、朝から晩まで毎日個別で支援してくれる人たちとであったので運が良かったのかもしれません。
通常ではあり得ない支援ですからね。
で、私がひきこもっていた時に、両親は何をやっていたのかということです。
最初は、心配していました。
大学に行っていない気配を感じた母親が、私に言いました。
「大学に行かないなら働いてくれ。」と。
「行きたくなくて行かないんじゃないんだよ。」
「怖くて大学に行けないんだよ。」
その当時の私の心の声です。
母も父も、怒ったりするような人たちではありませんでした。
特に父親は職人でしたので、勉強や学校に関しては何もわからないので、何も言いませんでした。
その当時のことを、ひきこもりから回復した後で母親に聞きました。
「そのうち、元気になって仕事なり、学校に復学するなりするだろうと思っていた。まさかあんた、30年間もひきこもるなんて想像できなかった。」とのことです。
それだけでした。
あと覚えていることといえば、母親のため息です。
私は食事も親とは一緒には食べられなくなりました。
母親の顔を見ているとイライラしてしまうからです。
そんな場の雰囲気からか、母親は私と一緒にいるとため息ばかりついていました。
それがとても嫌で嫌で仕方がありませんでした。
やがて私は自分の部屋からも出られなくなりました。
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