発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

この1年6ヶ月の支援を振り返る。30年ひきこもり後自立を目指すASDなA

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初めてありがとうと言われた。素直に嬉しかった。涙が出そうになった。

 

私はAと言います。

初めての人よろしくお願いします。

50代の男です。

 

 

私のことを少し話します。

大学の1年の夏過ぎぐらいから大学に行けなくなりました。

理由は人が怖かったからです。

 

 

周りの人と話をしてもうまく話が噛み合わないことが多かったです。

自分では噛み合わないってわからなかったけれど、周りの人から「お前なんかおかしい。」とよく言われていました。

 

 

自分でも明るく振る舞ったり、戯けたりしてみたけれど、何をやってもうまくいかなかった。

それで、だんだん家から出ることがめんどくさくなって、とうとうひきこもりになってしまったんです。

 

 

気づいたら30年間家にひきこもっていました。

あのう、30年間も家にひきこもっていたなんて誰も信じてくれないと思います。

 

 

でもね、両親も他人と関わることが苦手なんですよ。

だから家でじっとしていましたね。

家族でひきこもっていたという感じです。

 

 

「Aよ。なんとかしないといかんな。」と時々母親から言われていました。

まあ私が30代前半までぐらいですかね。

 

 

そう言われても、無言の私でした。

なんの感情ももち合わせなかったな。

 

 

その後は母親は何も言いませんでしたね。

父親はほどんど喋らない人です。

「飯、風呂、寝る。」だけかな。

 

 

そんな家庭だから30年間もひきこもれた。

そう思いますよ。

もちろん、両親が悪いなんて思ったことはないですけれど。

 

 

でもね、1年半前にちょっとしたことで初めて母親と言い合いになったんです。

「うるさい!!黙れ。」って大声で母親に怒鳴って、母親を押し倒したんです。

80代の母親は、怪我をしました。

 

 

そして、私は家から追い出されることになったんです。

「親に暴力を振るう奴とは、一緒に住めん。」と言われてこの団体にお世話になりました。

 

 

朝から晩までスタッフから支援を受け続けました。

1年と6ヶ月日曜日が唯一の休みで、それ以外は1日12時間の支援です。

まあ休み時間も設けられてはいましたよ。

 

 

全て、私に合わせたプログラムでした。

私にあったプログラムを作るために、まあいろんなことをやりました。

今なら、それが自分にあった支援プログラムを探すためだったとはわかりますよ。

 

 

正直、その頃でもう挫けそうになった私です。

 

 

体力をつける。

健康管理をする。

コミニュケーション能力を高める。

自分の得意な面を見つけて伸ばす。

自分の苦手なことを把握して、どう対処すれば良いかを身につける。

 

 

全てを習慣化できるように努める。

それらをやり遂げた私です。

もちろんまだまだ身につけなければならないことがあります。

 

それは、第2章フィリピン編で始まるのです。

 

 

 

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