東大さんの凄さ。
例えば、日本語教育能力検定試験。
合格率は3割を切ります。
東大さんは、支援している青年の寄り添いで、日本語教師養成学校に通っていました。
ですから、青年を支援することで精一杯だったのです。
日本語教師養成学校が終わりましたら、日本の事務所でまた違う青年の支援をしていたのです。
そんな日常でしたから、日本語教師養成学校で勉強したことを復習する時間などありません。
その当時、そこに通っていたのは、吉村さんと支援している青年と東大さんの3人でした。
吉村さんはかなり気合を入れて勉強していました。
日本語教育能力検定試験前日、吉村さんは少しの手応えを感じていました。
青年は多分無理だろうとのことでした。
東大さんは、試験勉強はできませんでしたが、授業の内容は毎回理解できていましたから、「授業の内容が出るのであれば受かるとは思いますが・・・・。」と言っていたそうです。
吉村さんは、さすがの東大さんでも今回の試験は準備不足で受からないだろうと感じていたそうです。
試験当日、吉村さんの視界には、終了間近に机に伏せる東大さんの姿が入りました。
「ああ、やっばり難しくて諦めて寝てしまったんだ。」吉村さんはそう思ったそうです。
試験後の感想は、「なんなんですかねあの問題。全くできませんでした。」それが東大さん以外の感想です。
東大さんは無言でした。
そして、1ヶ月後東大さんの元へ合格通知が届きました。
あとの2人には不合格通知が届きました。
フィリピンで1番評判の良い私立大学に通っていた東大さんです。
もちろんその学部内で1番でした。
感想は日本の高校レベルと感じたそうです。
たくさんのフィリピン学生が東大さんに勉強を教えてほしいと依頼があったそうです。
日本の大学に留学した経験のある教師たちが、東大さんを職員室のようなところに招いて、交流を持ったりもしたそうです。
「うちの娘はまだシングルなんだ。今度紹介したいから、東大さんを食事に招きたいんだ。」そんなお誘いもいくつかあったそうです。
その挙句には、「うちの大学で臨時教師として働かないか?」そんな話が理事長から直々にあったそうです。
給与が安かったのでお断りした東大さんです。
しかし・・・
フィリピンで自動車の免許取得の為に教習所に通っていた時です。
教習所の教官が青木さんに「彼(東大さん)は知的障害がありますか?」と聞いてきたそうです。
「知的障害ではないです。自閉症なので、うまく手足を動かせないだけです。」と答えたそうです。
明日に続きます。
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