発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

ひきこもりに決別した後のこと。テル

                                       さあ、ひろい世界に旅立とう!!

 

一言で言えば、自分をよく知ることができたからです。

 

 

僕はなんだかよくわからないうちに、不登校になってしまいました。

よくわからないうちにひきこもってしまいました。

テレビで、大学の卒業シーズンの特集を多く見たことで、自分も大学に行っていたら、卒業なんだと感じ強い焦りが出たのです。

 

 

そしてもうダメだと自分の人生を勝手に諦めてしまったのです。

ひきこもっていた僕を必要としてくれる会社なんてないですよ。

せいぜいアルバイト程度しかないです。

アルバイトはいつまでもアルバイトのままです。

 

 

 

青木さんからも、「アルバイトに逃げてはいけない。」と言われました。

「長い人生をアルバイトで過ごしてはいけない。アルバイトをする時間があるなら、将来の為に知識や経験を積みなさい。」とも言われました。

 

 

で、具体的にどうすれば良いのかを教えてもらいました。

そして、それを実践している先ゆく仲間の人たちとも会えたことで、青木さんたちが推奨している方法に信頼を持ちました。

 

 

簡単に言えば、海外の学校に行くことです。

ひきこもっていたけれど、青木さんと会ったことでひきこもりに決別することを決めました。

それで、大学に行かなくてはと思ったのです。

 

 

それで、青木さんが熱心に僕に話かけてくれたことで妙に納得してしまいました。

「日本の大学は同じ年齢の人たちばかりだから、その年齢で今更行くことはとても難しい。それよりも、三流大学に行くより海外の大学に行く方が学費も安いし、誰の目も気にしなくて良いので、やり直しやすい。」

 

 

それで僕は、海外の大学に行くことを決心しました。

とにかく、田舎に住んでいたこともあって、近所の目がとても気になって仕方がなかったんです。

このままでは、またひきこもってしまうのではと、とにかく自分が住んでいる場所が嫌でしょうがなかった。

 

 

フィリピンの大学を卒業しても自分の田舎には帰るつもりは全くないです。

 

 

親が嫌いなわけではなく、田舎の閉鎖的なところが僕は受け入れられないです。

僕の田舎は駅前通りをシャッター通りとみんなが呼んでいるそうです。

衰退が激しいんですよ。

 

 

それに、日本人の入居者がいないので、外国人が住み着くようになって、リトル外国人街になっていますよ。

日本の地方にはもう未来がないと感じます。

 

 

僕が自分の弱さで日本から逃げ出すだけのではなく、将来を考えた上で日本から飛び出すと思うようにすることにしました。

そう思うことで、自分の背中を押すことができたと思います。

 

海外から、日本を眺めてみると、やはり日本を出て正解だったと思います。

僕自身のことをそう思うのであって、他の人のことをなんやかんやいうつもりは全くありません。

 

 

日本にも良いところはたくさんあります。

日本にとどまれるなら、それに越したことはないでしょぅね。

僕は、みなさんの様に優秀ではないので、日本にはいられなかっただけですから。

 

 

「大切なのは、自分が幸せと感じることだ。世界中どこに住んでいても良いんだよ。」

青木さんが自信満々に話してくれたこの言葉を今でもはっきりと覚えています。

 

 

 

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