発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

過去に生きていたASDな私。東大卒後30年ひきこもったASDな大野。

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成功するまで諦めたくない。飛行機に乗って行ってきます!!

 

 

私は東大を卒業後、大学院に進みました。

大学院の研究室で、周りの人たちとの人間関係がうまくいかなくなりました。

周りの人たちは、私の問題点を色々と指摘してくれるのですが、私には彼らの言っていることがよく理解できませんでした。

 

 

ですから、どんなに周りから指摘されても、私は変わらなかったのです。

私自身が変えようと色々と努力をしていれば、周りの人たちの私を見る目もそれほど厳しくはなかったでしょう。

 

 

でも相変わらず同じミスをし続けている私に周りの研究員は疲れ果ててしまったのです。

そして、とうとう主要な研究部署から外されてしまったのです。

 

 

「言った通りにやってくれ。」

「報告・連絡・相談は必ず周りの研究員にすること。」

「自分の意見を周りとシェアする姿勢を見せなさい。」

 

 

周りの研究員から私の問題点を指摘されても理解ができませんでした。

それ以来、研究室には怖くて行けなくなりました。

 

 

 

それから30年もひきこもってしまいました。

30年です。

今となっては、ひきこもった当事者の私自身でさえ、本当に30年もひきこもっていたのかなと思うほどです。

 

 

30年何をしていたのかというと、生産的なことは何もしていませんでした。

 

 

時々、大学入試の問題をやり直してみたり、ゲームをやったり。

新しいゲームなどは買えませんでしたので、高校の時に買ったゲームをやり続けていました。段々と壊れていきましたが、修理にも出せなかったので、電源が入らなくなるまでやり続けました。

 

 

多くの時間は、どうしてひきこもってしまったのかと考えることでした。

まあ、どんなに考えても結局は「研究員たちが僕を貶めたとか、僕に嫉妬したから追い出したんだ。」とか。

同じようなことを繰り返し考えていましたね。

 

 

7年前に支援に繋がりました。

「日本にいたら、人の目が気になってひきこもりから回復することが難しい。」

「誰もあなたのことを知らない場所なら、やり直すことができるんじゃないかいな。」

 

 

支援者がそう言ったことは理解できました。

日本から出て、1からやり直すことができたなら、是非そうしたいと思いました。

 

 

でも、どうやって?

日本でうまくいかなかったのに、言葉も文化も風習も気候も食べ物も違う外国なんかで暮らすことなんかできない。

 

 

心の中は不安だらけでした。

 

 

 

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