発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

結婚相手が見つかりました。30年ひきこもった東大卒ASDな私。

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今年は私にとって、激動の1年でした。

私には2つの大きな出来事がありました。

 

 

1つは結婚相手が見つかったということです。

私は東大を卒業後、東大大学院に進学しました。

しかし、同室の研究員とコミニュケーションがうまく取れず、担当箇所を移動させられました。

 

 

そのことで、不安が強くなり大学に通うことができなくなったのです。

結局、教授の配慮のもと大学院は終了とさせてもらいました。

しかし、それから30年近くひきこもってしまったのです。

 

 

不安がとても強かったのです。

研究室で、叱責を受け続ける日々でした。

自分の何が悪いのか?

自分はどうしたら他の研究員たちとうまくやっていけるのか?

何もわからず、どうすることもできませんでした。

 

 

それからあっという間に30年近くがたちました。

無意味な30年でした。

何もしてこなかった30年でしたから。

 

 

7年前に、この支援団体と出会い支援を受けて家庭教師の職を得て社会に戻ることができました。

失った自信も少しづつ獲得していくことができたのです。

 

 

しかし、社会的に自立をした後でも、満たされない何かを感じ続けていました。

私には、ひきこもった負の遺産を消し去ってしまうほどの大きな何かが必要だったのです。

 

 

 

それが何かは、なんとなく気づいてはいました。

しかし、具体的にどうすれば良いのかは考えられませんでした。

 

 

 

1昨年の秋頃、支援スタッフの青木から、結婚を考えてみないかと促されました。

こんな状況で、私と一緒に過ごしてくれる女性などいるはずがないと確信していました。

しかしどこかで、もしそんな女性がいるのならば、ぜひ出会いたいとも思っていたのです。

 

 

しかし、そんな本音を周りの支援スタッフたちに話すことはできませんでした。

怖かったのです。

何か、馬鹿にされるのではと不安でした。

 

 

毎日、7年間も家族以上の関わりを持ってくれているのに、まだ私はそんな不安を感じていたのです。

 

 

今年の5月ごろに、再び青木から「一緒に結婚相手を探そう。」と提案されました。

私は小さく「はい。」と答えるのが精一杯でした。

 

 

それから大変な日々が続きました。

いや、私よりも周りで支援してくれていたスタッフの方がもっと大変だったと思います。

 

 

青木が極度のストレスから、心筋梗塞で倒れてしまったのですから。

ストレスで倒れるくらい私のことを思ってくれたおかげで、私は最愛の女性と出会えたのです。

 

 

 

しかし、こんな幸せは長くは続きませんでした。

明日もう1つの出来事を書きます。

 

 

1年間本当にありがとうございました。

こんな私を支援し続けてくださったみなさま。

私は残りの人生で、かつての私のような長期ひきこもっている人たちを支えたいと願っています。

 

 

私1人では無理です。

でも私にはパートナーがいるので、2人でならやっていけます。

どうぞ、来年もよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

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