発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

学校に行かなくても良いよだけではなく。テル

                          このイラスト僕の小学校・中学校の様子をよく表していますよ!!

 

僕は小学校、中学校ともほぼ行っていません。

高校は通信制高校で、これも数えるほどの通学です。

だから通信制高校を選んだんですけれどね。

 

 

不登校になった理由は個人的な理由です。

別に担任の僕への接し方が暴力的だとか、青木さんの様にひどいいじめがあったわけではありません。

 

 

学校在学中に僕が感じていたのは、みんなとうまくやっていけないということです。

特に放課の時間に、仲間同士が集まっておしゃべりが始まるわけじゃないですか。

その時に、僕も入りやすい仲間の輪の中に入って、みんなと会話を楽しみたいと頑張るんですけれど、みんなに相手にされなかった。

 

 

最初のうちは、頑張ってみんなと話を合わせようと思ったのですが、「はあ、なんだお前。」とか「テルの話は面白くないからあっちに行って。」とか言われるうちにすっかり自信をなくしてしまいました。

 

 

そのうちに、みんなに話かけるのが怖くなりました。

もともと器用ではないので、学校行事では色々とつまづいていたし、勉強も平均点をとるぐらいだったので、何もかもに自信をなくしていきました。

 

 

 

人と関わる自信を無くしたまま、年齢だけは重ねていった僕です。

通信制高校に身を置いていた時には、(このままみんなから離されていくんだ。そしたらもう追いつけなくなって、一生1人なのか?)と強い不安を感じ始めました。

 

 

 

まあそれで、同年代が大学を卒業する時に、僕はこの団体の支援に繋がったわけです。

この団体の支援に繋がった1番の理由はヒロさんです。

ヒロさんの話にとても共感しました。

 

 

(こんな僕でもやり直せるかもしれない。)とヒロさんの話を聞いて少しの希望を持ったからです。

ヒロさんはフィリピンで高校と大学に行って、みんなとうまくやっていくコツみたいなものを学んだと言っていました。

 

 

「行かなければ、俺は野に放たれた野獣のままだった。」と遠い方向に視線をやって、自分の世界に入っていたんだろうなと感じたことを鮮明に覚えています。

何もかも劇画調の人でした。

 

 

「失敗して良いんだ。失敗からしか学ぶことができない俺たちアスペルガーなのさ。失敗したら仲間が助けてくれる。教えてくれるんだよ。そして俺は再びパワーアップして現実の世界に戻るんだ。残念ながら精神と時の部屋はないぜ。地道にやるしかないんだ。」

 

 

思い出しても笑えてきます。

でも偉大な人ですよ!!

 

 

まあ僕は、ヒロさんのありのままを書き殴ったあのブログを読んでいましたから、ヒロさんが通った世界を知っていました。

 

 

学校から離れて、何もなくなってしまった僕でした。

そしてもう年齢的にみて、日本で学校に戻ることは無理だとなった時に、僕は日本からフィリピンにうつりました。

 

 

英語学校そして大学に進みました。

それからの話はまた明日です。

 

 

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