発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

ひきこもりからの回復は自信をつけること ヒロ&シンゴ

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洪水で何もかも流された裸の少年に古着を手渡す俺。2009年



 

 

私の支援は短期間で終わりました。

自信をつけて、将来に対する希望もはっきりと見据えています。

辛かった高校生活を思い返すこともまだありますが、今が幸せなので過去なんてどうでも良いと思っています。

 

 

 

私のことを色々書いてもあまり参考にならないのではと思いましたが、青木さんから、「君は落ち着いて客観的に文章をかけるから、ぜひ書いてください。」と言われました。

 

 

 

そうかどうかは私にはわからないのですが、何かのお役に立てればと思います。

 

 

 

ヒロさんにお会いしたことがあります。

2018年ヒロさんは住んでいるダバオ市からセブ市に用事で来られました。

その時に青木さんから、一度会って話をしておいた方が良いと言われて会いました。

 

 

 

私はヒロさんに聞いてみたいことがありました。

 

 

 

10代のヒロさんは、(彼が表現したままに言いますと)

頭も運動神経も悪く、何をやってもうまくいかず、他人とのコミュニケーションもうまくいかない。

 

 

無い無い尽くしの10代だったのに、支援を受け続けた結果20代後半には、勉強も運動もできて、たくさんの女性から付き合って欲しいと言われるくらいな素晴らしい男性になった。

 

 

本人は大変な努力をしたのでしょうが、それ以上に支援し続けた青木さんはじめ多くのスタッフたちの努力が大きかったと思います。

 

 

その長期にわたる操り人形(本人の表現)のような日々の生活の中で今振り返ると、何が回復への決め手でしたか?

それが私が1番聞きたかったことです。

 

 

景色の良いカフェで心地よい風に当たりながら、よく冷えたアイスコーヒーを一気に飲み干したヒロさんはこう言いました。

 

 

「大丈夫だと思ったこと。」

「自信とまではいかなくても、俺大丈夫だなって感じたこと。それが全ての始まりだな。」

そう話してくれた時のヒロさんの表情はとても綺麗な表情でした。

 

 

 

青木さんは「自信をつけること。」と言っている。

自信をつけることが回復への必修条件だと言っている。

それは確かにそうなんだけれど、俺たちみたいに自信なんかこれっぽっちもない連中には自信をつけることさえ大変なんだ。

 

 

俺たちって基本びびりでしょ。

だから支援センターが考えてくれた回復プログラムでさえ

スムーズにこなせないんだ。

もちろんだからこそスタッフが徹底的に寄り添ってくれるんだけれど。

 

 

毎日が「どうせ色々とやっても無理だろう。」という考えと「なんとかできるようになりたい。」という願望のせめぎ合いだったな。

 

 

 

だからこそ証明とか確信が欲しいんだよ。

それがないまま支援を乗り切るには大変さ。

 

 

俺はフィリピンに短期で来た時にその「大丈夫だな」を感じる経験ができたんだ。

だからこそ俺は回復プログラムをフィリピンでやっていこと決断できたんだ。

 

 

俺がボランティア活動をしたことは知ってますか?

2009年台風オンドイでマニラ首都圏は大変な被害を被りました。

特に川下にある貧困地域に、崩壊した川の水が流れ込み、大きな被害が出ました。

 

マニラの中心から、水害がひどい地域への道が洪水で遮断されていたんですよ。

 

 

 

しかし、俺たちは被災地に1番最初に駆けつけたボランティア団体なんだ。

 

 

続きは次回です。

 

 

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