母親はいつもいつも俺を責め立てた。
学校も家庭も俺の居場所ではなくなった。
家出や深夜徘徊を繰り返した。
母親は僕だけ食事を少なくしたり、家庭の中で無視をしたりした。
そしてとうとうある日、言い合いの末僕はバットで母親の頭を思いっきり叩いた。
兄弟が救急車を呼んで母親は病院のICUに搬送された。
僕は怖くなってその場から逃げた。
「母親は死んだかもしれない。」
そう思っていた。
知らない街を彷徨続けた。
ある日観念して落としていた携帯の電源を入れ直した。
父親からの数多くのメールの着信。
母親は数ヶ月の入院で経過観察の必要があること。
しかし、命には別条はないこと。
何も心配しなくて良いので、自宅に戻って来なさいと書いてあった。
この話はここまでにしたい。
この出来事を核として長い間母親との間のことをなんどもなんども考えていた。
大学を卒業した頃だと思う。
「青木さんの子どもに生まれて来たら、俺はこんなに苦労しなてくもよかったんだと思う。」と話したんだ。
「うーん。無理だな。」と青木さん。
「もしもし、サポートセンターでしょうか?息子のことでご相談にのっていただけないですか。大変な子どもでして、学校には繋がらない、家庭ではひどい暴れようで、全く意志の疎通ができない子どもです。殺されるかもしれないと、怖くて仕方がありません。」
「自分の子どもなんですが、もうどう接して良いのか何もわからないのです。そして他の兄弟たちにも影響が出て来まして、今すぐなんとかしたいのです。おたくで預かってくれませんか」って電話していたろうな。
青木さんを持ってしても、そのように思わせてしまうほどの大変さだったのか!!
数ヶ月前に青木さんが俺に話してくれた。
「ヒロさんのお母さんと僕の目的は同じだった。ヒロさんが社会で居場所を見つけて、仕事につけて、社会常識や生活スキルを身につけられるようにすることだった。」
「僕は毎日朝から寝るまで支援のことを考えているぐらいだから少しはヒロさんの回復に役に立ったと思っている。」
「しかし、僕がこのような世界にいなければ、きっとヒロさんのお母さんと同じような行動をしていたと思う。」
「ヒロさんのお母さんは特別ではないんだ。そのように振舞ってしまう人は多いんだよ。」
それを聞いて俺はなんと言えば良いのか。
肩の力がスーッと抜けていく感じがした。
「青木さんと俺の母親は同じ目的だった」というのか?
「ただ、やり方が違っていただけ!!!」
恥ずかしい話だが泣いた。
情けない話だ。
そんな母親を殺そうとしたんだからな。
泣き止んだら、青木さんが言った。
「長年に渡る母親との確執。」
「これにて終了とさせていただいてよろしいですか?」
ハハハハハハハハハハ。
それは大神官の真似ですか?
俺は涙と鼻水が混じった顔で笑いながらうなづいた。
また明日。
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