発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

支援にはお金がかかる シンゴ

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この写真が好きです。


 

ポンコツさんがやめてしまって東大さんしか書く人がいないんじゃないですか?

大変じゃないですか?

私が書くしかないのでしょうか?

 

 

ブログを書くというのはありえないことですよ。

自分の過去を赤裸々に書き綴るなんて誰が書くのですか?

誰も書きたがらないでしょう。

 

 

でも私は書いています。

ブログを書くことの効果がわかったからです。

 

 

アスペルガーな私は、頭に入る情報をうまく整理するのが苦手です。

そして私の人生はうまくいかないことだらけでした。

そのことがきっかけで2次障害となり、鬱やひきこもりになってしまいました。

 

 

簡単に言えば、頭の中がゴチャゴチャなのです。

中学まではなんとかしのいでいました。

でも、高校からは悪い状況になる一方でした。

 

 

 

だんだんと頭の中が一杯になっていって、客観的に物事を考えることすらできなくなってしまいました。

 

 

 

もし、第3者の力を借りなければ、自分で自分の命を消し去っていたと思います。

それほど大変な状況になっていました。

 

 

姉にしても、そんな状況になってしまった私をなんとかして元に戻そうと思ってくれていました。

しかし、姉も会社で責任ある立場のポジションにいましたので、時間的な余裕がなかったのです。

 

 

有給を使って、私に寄り添ってくれたりもしましたが「数日ではどうしようもできない。年単位の支援を考える必要がある。」と私に言い聞かせていました。

 

 

それで、姉が青木さんに連絡して、今後のことを色々と相談してくれていたのです。

 

 

以前から青木さんの支援を注意深く見ていた姉にとって、この団体に支援をお願いすることに、なんの不安も感じていませんでした。

 

 

この団体なら、ここまで悪くなった私でも回復させられると姉は思っていたそうです。

青木さんはなんども姉と打ち合わせをして、私に関する情報を得て、回復プログラムを作成してくれました。

 

 

それを私に丁寧に説明してくれた姉です。

それはとても魅力あるプログラムでした。

とても楽しそうなプログラムでした。

 

 

そしてこの通りに進めば、再び自信を取り戻し、前を向いて歩いていけると感じたのです。

 

 

しかし、私には大きな問題がありました。

それは回復プログラムを受ける費用がないのです。

 

 

姉が「なんとか協力してあげる。」と言ってくれたのですが、5年間の海外での生活です。

大学はフィリピンの4年生大学に行く予定です。

フィリピンの大学は日本に比べて格段に安いと言っても、それなりの費用が必要です。

 

 

日本で、私は大学に進学していませんでしたので、両親がその費用をとってくれていたのですが、母親と私との関係が悪くなり、両親からはお金を出してもらえなくなっていました。

 

 

私は、姉にこれ以上迷惑をかけたくなかったので、自力で回復することを考えました。

 

 

しかし、姉はなんども青木さんと話し合いをして、ついに私のフィリピンへの渡航が決まったのです。

 

 

お金のことは誤解を招くこともあると思いますので、気をつけて書かないといけないとは思っています。

 

 

私の場合は、他の人たちより下記の点が違っていたそうです。

 

学ぶことに関しては大きな自信を持っていたこと。

自暴自棄になるほど悪くはなっていないこと。

姉から、今何が足りなくてどうすれば良いかを具体的に擦り込むように言われ続けてきていること。

青木さんとの信頼関係が築けていたこと。

 

 

これらのことから、私への支援は短期間で、そしてスタッフになってもらえると判断してもらったのです。

 

 

実際私への集中的な支援は3ヶ月程度でした。

 

 

また続きを書きます。

 

 

 

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