発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

20年間ひきこもった彼が今、正社員として働いている。後編 東大

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青木は疲れを感じた時に自分の携帯に保存しているこの写真を見るそうです


 

 

日本語教師の資格をとった私と劇団兄いはフィリピンに帰りました。

 

 

そして、劇団兄いはフィリピンで就職活動を始めました。

 

 

実は私は、日本語教育能力検定試験に合格しています。

合格率は3割程度です。

 

 

そして実技においても、劇団兄いと私は教えていただいた先生から特に可愛がってもらいました。

「教え方が2人とも違うが、とてもよくわかる。」と褒めていただいたのです。

 

 

その状況を知ったこの団体の役員たちから「東大さんも残りの人生を日本語教師として働いてみたらどうかね。」と聞かれたのです。

 

 

私は、人に教えるということが自分にはとても合っていると思いました。

それは、大統領やヒロさん、バード君などを教えていて気づいたことです。

 

 

ですから、役員の提案を受け入れ、日本語教師になって私への支援終了とすることに決まったのです。

そしてすでに、私と劇団兄いの就職先はフィリピンの大学での日本語教師として決まっていました。

 

 

それは、青木があちらこちら、日本語教師の口を探してくれてた結果です。

すでにフィリピンで1年以上の滞在経験があり、なおかつ英語を1年間勉強してきたことから、採用となったのです。

 

 

大学で日本語教師につけるということで、私も劇団兄いも飛び上がらんばかりに喜びました。

 

 

正社員になれるんだ。

税金が払えるんだ。

健康保険にも加入できる。

 

 

嬉しくて泣いてしまった私と劇団兄いです。

 

 

しかし。

 

 

大学側から不採用通知が来ました。

理由は、大学側の問題です。

詳しくその理由をお聞きした時には、情けないやら腹がたつやら、とても嫌な気持ちになりました。

 

 

その大学の名誉を傷つけたくないので、この話はおしまいにします。

 

 

すぐに青木は違う就職先を見つけて、劇団兄いに紹介しました。

しかし、そこは大学と比べて雇用条件が見劣りしました。

劇団兄いも悩んでいましたが、最終的にそこで働く決断をしたのです。

 

 

彼曰く。

「実績を作って、私がその学校で、なくてはならない教師になれば良いだけのことです。私には自信があります。」

 

 

そうして2018年3月、彼は条件が良くない語学学校に入社しました。

 

 

2019年12月、劇団兄いの言っていた通り、彼は昇進し、マニラ本校に移動となりました。

給与は結婚して相手を養うまでにはまだ届きません。

しかし、焼肉を食べ終わってから、彼は私たちにこう言いました。

 

 

「この仕事は私の転職です。毎日楽しいのです。生徒が必死に勉強している姿をみていると、なんとしてでも彼らを笑顔にさせてあげたいと、情熱がこみ上げてきます。」

 

 

「ほとんうにありがとうございました。私は大変でしたよね。色々とごめんなさい。」

 

 

確かに大変な2年間でした。

大変だったのは私ではなく、青木でした。

青木は涙を流していました。

 

それを見て、私も泣いてしまいました。

 

20年間ひきこもっていた彼は、生きていく希望を獲得したのです。

私たちの役目はこれで終わったのです。

 

 

しかし!!

私も、青木も彼の発言に驚きました。

そこまで・・・。

 

 

明日に続きます。

 

 

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