発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

20年間ひきこもり。会うまでに1年かかった彼。中編2 東大

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ボランティアに励む劇団兄い2016年





 

とても高いプライドを持っていた劇団兄いです。

私たちが自分たちの団体の自己紹介をした後で、こう言いました。

 

 

「はい、はい。あなたたちのことはチラシで知っていますよ。それで、僕にこの働きを助けて欲しいということですよね。」

「お伺いしたいのですが、福利厚生と給与に関してお答えください。」

 

 

「僕は今違う会社からの採用結果待ちなんです。採用はほぼ決定ですので、1週間後にまた電話でもしてみてください。そういうことで、今回はお引き取り願います。」

 

 

 

「それでは1週間後の今頃の時間にお電話をさせていただきます。何卒よろしくお願いします。」と言って、ご自宅を後にしました。

 

 

 

採用の話が本当かどうかは私たちにとっては、どうでも良いのです。

もちろん何が真実かは皆様はわかっていてくださるとは思います。

 

 

 

1年越しでこんなにも彼と話せたことがとても嬉しかった私たちです。

 

 

1週間後にご自宅に電話をしました。

「あのですね。皆様の尊い働きに、いたく感動しまして、採用が決定していたところをお断りしました。よろしくお願いします。」

 

 

こうして2016年1月から私たちの支援がスタートしたのです。

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子どもと触れ合うのは大好きだとのこと。

 

 

劇団兄いの特性を考えて最初に考えたのは、貧困地区の小学校を支援するための紹介ビデオの作成でした。

しかし、うまくいきませんでした。

理由はまたの機会にご報告します。

 

 

彼の適性にあった仕事は何だろうかとスタッフで色々と考えた結果、「日本語教師」を選択しました。

もちろん、劇団兄いと多くの時間を費やした上で決めたのです。

 

 

問題は日本語教師の資格を得るために日本で学校に行かないといけないことです。

その期間は6ヶ月。

 

 

劇団兄いは20年間ひきこもっていたのですから、一人で学校に通い続けることは無理なことなのです。

私たちのスタッフの中で2人が選ばれて、日本語教師養成学校に劇団兄いと行くことになりました。

 

 

その内の1人が私でした。

フィリピンに滞在しての支援から日本滞在での支援に変わったのです。

 

 

日本語教師養成学校での生活は想像したのとは違ってとても楽しい時間でした。

生徒は20代から60代まで様々な年齢層が在籍していました。

背景も様々な人たちでした。

 

 

やはり全員日本語教師になって、日本語を学ぶ生徒の手助けをしたいというはっきりとした目的がありますから、教室内はとても良い雰囲気でした。

 

 

それで、友達もできたのです。

友達との間でコミニュケーションの練習にもなりました。

しかし、コミニュケーションはやはりうまくいかないのです。

 

 

私も他のスタッフも同席していましたので、宿舎に帰るなり、どうしてコミニュケーションがうまくいかなかったのかの練習です。

 

 

 

日本語教師養成学校でコミニュケーションスキル獲得の練習ができるとは思っていませんでした。

これは嬉しい誤算でした。

 

 

6ヶ月の勉強が終わりました。

こうして日本語教師として働くことができる資格を獲得したのです。

 

 

そして、再び私たちはフィリピンに戻りました。

20年間ひきこもった彼が仕事に就くことができるようにと私たちはサポートを開始しました。

 

 

次回に続きます。

 

 

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