発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

小4から不登校で母親を悲しませた僕。ブン

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僕の困っていたこと。

昨日ブログで書いたことです。

 

 

 

悩んでいました。

困っていました。

悲しんでいました。

 

 

でも、誰も僕の困っていることに気づいたり、ケアしてくれなかった。

だから僕の不安はだんだんと大きくなっていった。

そして、とうとう外に出ることもできなくなって部屋にひきこもることになった。

 

 

 

あっという間の10年間。

あっという間の10年間だ!!

 

 

サポートセンターは、小学校から不登校っていう人の支援はあまりしたことがないらしい。

そして、中学も高校も全く行けなくて10年近くひきこもっていた人も、サポートセンター30年近くの歴史でも少ないらいしい。

 

 

それほど大変な状況の人だったんですね僕は。

 

 

僕の母親は僕を元気にしようと必死だった。

医者やカウンセラー、気功とかマインドなんとかとか、ありとあらゆるところに助けを求めた。

 

 

その姿はありがたいとは感じていた。

でも「ありがとう。」と言葉に出したことはない。

 

 

今もまだ言える気持ちじゃない。

何ものでもない僕が「お母さん、今までありがとう。」とまだ言える立場ではないと思っている。

 

 

ヒロ師匠が、「就職して最初の給料を全額母親に渡したいとか、東南アジアのどこかの都市で父親と夕食を共にして、いろんなことを語り合う。その食事代は自分が払う。」とブログに書いてあった。

 

 

僕はその気持ちがとてもとてもわかった。

僕も大学を卒業して就職したら、母親に会いに行き、こう言いたい。

 

 

「小学校4年生でひきこもって、今まで随分と長い時間お母さんには、迷惑をかけました。ごめんなさい。でももう大丈夫です。これからは、今までできなかった親孝行をしますんで、楽しみにしていてください。」

 

 

僕は母親に暴力をふるった。

「お前なんか死んでしまえ。」「無能なバカ親」とか、随分とひどいことを言ってしまった。

 

 

でも、僕は本当は母親のことを思っている。

たった一人の親だから。

 

 

日本を出てから長い年月がたった。

母親とサポートセンターさんとの間の話で、僕はしばらく日本には帰らない方が良いとなった。

もちろん、最初に僕にもどうするかと意志の確認をされた。

 

 

さっき書いたように、今の状態では恥ずかしくて、お母さんに会えない。

 

 

毎月、母親の近況がスタッフから僕に知らされる。

母親はまだ若いので、毎月の報告は必要ないですとは言っている。

 

 

僕の母親は、最近文化センターに英語を習いに行っているそうだ。

「どうして今更英語なんですかね?」とスタッフに聞いた。

 

「息子は、いずれ外人の人と結婚します。日本人の女性では息子とそりが合わないでしょう。それで、息子のお嫁さんと仲良くしたいので、英語を習うことにしました。」

 

 

ハハハハハァ。

さすが発達障害の子どもの母だ。

なんでそんなに話が飛んじゃうんだ。

 

 

って、笑ったら、「お母さん、可愛いね。」とスタッフが言ってくれた。

 

 

部屋に戻って、一人になったら、涙が止まらなかった。

ただ、ただ、「申し訳ない。」と言う気持ちが溢れてきた。

 

 

勉強が忙しくなったので、しばらく書けません。

ではまたいつか。

大学に行ってまいります。

 

 

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