僕は今アメリカにおるんよ。
まあまあ楽しいかな。
唯一不満といえば食事がまずいということなんよ。
日本ほど食材が美味しい国はないやろうけど。
まあ他に楽しいことがあるさかい我慢できます。
うちは今までのことをいろいろと振り返っとるんです。
自分のことをいろいろと知りたいので。
でももうすぐ終わりですのでお付き合いをよろしくお願いします。
ちよっとうちの話を置いときます。
何かお役に立ちたいと思ったんで違うこと書きます。
今は卒業、進学のシーズンです。
そうするとひきこもっいる人たちの一部は焦りだします。
不安になります。
「いつまでこの状態が続くんだ!!」ってイラつきます。
それは人によって程度に違いがあると思うんよ。
ヒロさんは大暴れ、警察沙汰。
うちも大暴れ、父親がこのままではまずいと思ったんよ。
名無しくんも父親と確か格闘したんだったよね。
その他サポートセンター名古屋で出逢った支援を受けている人たちに聞いた所、やっぱしみんな暴力が出て母親、父親が「これはは何とかしないとあかん、今すぐに」と思ったんやと思う。
それで皆さん支援に繋がって今それぞれ社会に学校に復帰するために頑張っていらっしゃるんやと思うよ。
僕や名無しくんは比較的早く支援に繋がって何とかかんとか社会に戻れそうなんです。
でもね。
例えば東大大学院を卒業後30年間近くひきこもっていた大野さん。
大野さんという人がサポートセンター名古屋で支援を受けていたんです。
今はスタッフになっています。
スタッフから聞いたんやけど、大野さんは暴力は一度も出たことはなかったんやって。
一度もなかった。
だから、家族はそのうち何とかなるやろうと思ったんと違うかな。
まあ暴力も出ていないし、家でじっとしている分には仕方がないと思ったんと違うかな。
それで気づいたら五十過ぎになってしもうた。
あのですね。
サポートセンター名古屋には大野さんの他にも20年以上ひきこもっていたという人がおられます。
その人も暴力がなかったんやって。
それで気づいたら五十才近くなんやって。
その人は食事の量が極端に減ってきて、深いため息をつくようになって、ご家族が亡くなられて初めて支援を探したんやって。
そう考えると、うちは幸せなんやったと思います。
同世代とまだそんなに離されていないから。
大学にも行く準備をしているし。
昨日の話の続きかもしれんけど、彼女も欲しいと思えるようにまで変わったし。
もし30年という時間、家族以外の誰とも会わなかったらうちはどうなっとったんやろうと考えるんよ。
でもその大野さんは今はとても幸せらしいです。
50才を過ぎた今から幸せになると決めているらしいです。
それは「希望」やと思います。
でもやっぱし、できたら30年間の空白は避けたいと思うんよ。
「暴力はないし、食事の後の洗いもんもしてくれる優しい子なんですけどね。」
「アルバイトでいいのでやってくれたらそれ以上は何も望みません。」
そういうお母さんが多いらしい。
青木さんは「そうですか」としか言わんらしい。
母親や父親が「このままでは取り返しのつかないことになる。」と自分たちで決断しないことには何も始まらないんだって。
「だったらひきこもっている人たちの現実をお父さん、お母さんにお伝えすれば皆さん理解されるんじゃないんですか」と青木さんに聞いたことがあるんよ。
「それでご両親に大野さんのお話を聞いてもらったりしているんだよ」と青木さんは言いました。
それでも子どもさんの現状を把握できないご両親がいるんだって。
明日に続きます。
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