こうして私は20年間引きこもることになるのです。
20年間ひきこもった。
私の20年間。
何かがあったわけではなく。
何もなかった無意味な20年間。
そのことを改めて考えると気が狂いそうになってしまいます。
大きな声をだしたいと言う衝動にかられます。
何もしてこなかった20年間です。
サポートセンターには実に多くのひきこもりや発達障害に関しての本があります。
その中で「ひきこもっても良いんだよ。」という考えが書かれていた本がありました。
とても嫌な気持ちになりました。
青木さんに「この本をどう思いますか」と聞きました。
「ひきこもった人たちが自ら自分の過去を語ることはないのが現実です。」
「だから想像で当事者の気持ちを代弁するしかないのです。」
「だからMr.Joeがその人たちの見方が違うと思うならば、自分の言葉を整理して、世の中に発信すれば良いと思うよ。」
そう言われて私は心が落ち着きはました。
辛いのです。
20年間の空白のことを考えると悲しいのです。
それが、「当事者にとって必要なことだった。」なんて書かれたら、すごく怒りが湧いて来ました。
しかし、残念ですが今の私の能力ではまだ考えをまとめることはできません。
絶対にひきこもらない方が良いに決まっています。
でも私はひきこもってしまったのです。
国際救助隊が来てくれなかったら、今日も自宅にひきこもったままでしょう。
昨日の続きを書きたいと思います。
父は保健所に救いを求めました。
両親ではどうすることもできなかったのです。
しかし、「本人が相談に来てくれない限りはどうしようもできません。」が保健所の答えでした。
おかしな話です。
自宅から外に出られない人たちを助けて欲しいと言っているのに、「来てもらわなければどうしようもできません。」なんて言うことのおかしさに気づいていないんでしょうね。
父親は家族会のようなものにも参加しましたが、「ひきこもっていたり家庭内暴力のこどもたちを具体的にどうするか」と言う話し合いは何もなかったそうです。
愚痴を親同士互いに聞きあっているだけの会には失望したそうです。
他にも色々な団体に助けを求めたのです。
しかし、私の活動時間が昼夜逆転なので訪問はできない。
それは活動時間が9時から夕方の5時までと言う団体でした。
父は相談先でのことを紙に書いて食卓テーブルの上に置いておいてくれました。
私は父の姿に本当に心から申し訳なく思っていたのです。
できるなら顔を付き合わせて自分の言葉で謝罪をしたかったのです。
でも私にはそんな気力も、もはや残されていませんでした。
また今日も一日同じ日が過ぎていくことへの苛立ち。
同世代とどんどん離されていく現実。
いつかこの辛さから逃れたい。
それは自分の命を断つこと。
それしか考えられませんでした。
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