できましたら私も新しい写真を用意してらえますか
父親は新聞やテレビ、雑誌、親の会で知り合った友人たちからの情報を元に様々な支援者、医者をたずね歩きました。
その報告を紙に書いて、食卓テーブルに置いてくれていたのです。
昼夜逆転の生活をしていた私は、両親が寝静まった後に、食卓テーブルでその紙を見るのが日課となっていました。
しかし、ある時を最後に両親からの報告はなくなってしまいました。
最後の手紙は下記のようでした。
「Joe、お父さんは、良い医者がいると聞いては訪ね、お前の状況を説明した。良い支援者がいると教えてもらい、足を運んだ。不登校やひきこもりの講演会にどれだけ行っただろうか。」
「色々な所へ顔を出すうちに、よく見かける人たちがいることに気づいた。こどものことで悩んでいるのは、私たちだけではないんだね。知り合いになった人たちで定期的にあっては情報交換をして来た。」
「でも、Joeすまない。お父さん、お母さんはもうお前に何もしてやれないんだ。無力な私たちを許してほしい。」
それから何もない日々が数年続いたでしょうか。
年が開けたら、40歳になろうとしていた私でした。
食卓テーブルに紙のようなものを発見しました。
それはサポートセンターのチラシでした。
綺麗なレイアウトとたくさんの写真。
バナナボート、Jetski、遊園地、ダイビングなどの写真がのせてありました。
「なんだこれ?」が第一印象でした。
意味がわかりませんでした。
後になって父親が青木さんからのハガキを一緒に置くことを忘れたことを知りました。
「就労に向けて確実にサポート!!」
「まだ間に合う。資格をとって正社員へ」
そんな言葉が踊っているチラシばかりを目にしていましたから。
逆にサポートセンターは怪しい団体だと感じたのです。
「遊んでどうなるんだ。」
「もう私には残された時間はないのに」
「何もわかっていない、サポートセンター名古屋の馬鹿野郎」
そう考えると、だんだん腹が立って来ました。
とうとう、サポートセンターのチラシを跡形もなく細かくちぎって火をつけて燃やしました。
それでもしばらく怒りは治りませんでした。
私はどうしたら社会に復帰できるかを考えていたのに。
真剣に考えていたのに。
遊びましょう。
笑いましょう。
幸せですか?
お前達はバカか。
私をばかにするのもいい加減にしやがれ。
私は助けを心から求めていました。
誰が中学から行っていない40近くの男を助けに来てくれるのか。
頼むから誰か私を助けてくれ!!
このままでは本当に命を断ってしまうから!!
それから2週間後、馬鹿野郎達が私の家にやって来たのです。
下手くそな文章です。
でも一生懸命考えて書きました。
しばらく頑張りますので、どうかお付き合いをよろしくお願いします。
本当に見捨てないで読みに来てください。
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