発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

家庭内暴力のその後 ヒロ

 

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俺はインターナショナルハイスクールを卒業した。

良い成績ではないんだ。

ギリギリかもしれない。

 

 

でも卒業できたんだ。

単位が揃って、俺が高校を卒業できるとわかった時、いちばんに思ったのは両親のことだった。

 

 

青木さんに直訴した。

親にインターナショナルハイスクールを卒業できると伝えて欲しいと。

 

 

なかなか青木さんから返事が来なくて、なんどもなんども青木さんに両親からの返事はまだかと聞いたんだ。

 

 

青木さんも困った顔をしていたな。

 

 

卒業式の前日に青木さんが父親からのメールを見せてくれた。

その文面は俺が期待していた内容とは違っていた。

 

 

なんどもなんども父からきたメールを読み直した。

数行のメールの中に、何か父親の思いが隠されているのではないかと思ったから。

 

 

卒業式が終わって、俺は青木さんに直訴した。

「日本に帰って、両親の目の前で卒業証書を見せたい。」と。

数日経って青木さんから衝撃な事実が伝えられた。

 

 

すでに俺の家族は自宅を売り払って、日本のどこかに引っ越してしまっていた。

 

 

俺に関する全ての物が、サポートセンター事務所にダンボール数箱に詰められて送られてきていんだ。

 

 

小さい時の俺の写真。

16歳で家を出た時の、その時の俺の部屋にあった一切がっさいの物。

 

 

そのことを青木さんは卒業後に俺に伝えたんだ。

無事卒業できるためにとね。

 

 

恥ずかしい話だが、俺は泣いた。

人目もはばからず泣いたんだ。

今から6年前の話だ。

 

 

高校を卒業した俺は、大学進学を決意した。

大学を卒業できたら、こんどは大学の卒業証書を家族に見せたい。

そう思ったから。

 

 

そうしたらきっと、家族は俺を許してくれるかもしれないと思ったんだ。

おまけに俺を褒めてくれるかもしれないと思った。

 

 

今年俺は大学を卒業した、成績は高校卒業時より上がって、全体の真ん中あたりらしい。

 

 

5年前のあの時のような家族に対する熱い思いは俺の中にはなかった。

 

 

青木さんに両親への報告をお願いしようかどうかも決めかねていた。

結局青木さんが気を利かして両親のメールBOXに卒業の報告をしたんだ。

 

 

帰って来たのは数行のメール。

しかし、高校の時と同じではなかった。

 

 

俺が海外の大学を卒業したことへの驚き。

その努力を讃えてくれていた。

 

 

しかし、再び家族と会えるという期待は持たないで欲しいとも書かれてあった。

 

 

その文面から俺がしでかしたことの重大さを改めて感じた。

 

 

16歳のあの時の記憶が蘇った。

両親は未だにあの悪夢のような日々の記憶から解放されていなかったんだ。

 

 

俺の中では、あの記憶がすでに消えかかっているというのに。

 

 

 

明日最後の文章を書きたいです。

もうこれで俺の中にある家庭内暴力のことはおしまいにできそうです。

 

 

なんどもなんども同じテーマでくどいほど書いて来ました。

それは、俺の心の中にある混在したいくつかのものを、くっつけたりして整理するような作業だったということに気づきました。

 

 

それはヒルマさんに言われて気づいたんですけれどね。

 ありがとうございます。

 

 

 

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