中学の講演会でお花をいただいた、卒業したという気分を味わった。
俺は中学の勉強が全くわからなかった。
何がわからないのかさえわからなかった。
中学の数学と英語をフィリピンに来てすぐにやり始め、一年半で徹底的にやり直した。
この時が一番辛い時だった。
壁にいくつもの穴があいた。
あまりにもできない自分に腹がたった。
インターナショナルハイスクール、大学を卒業した。
中学の時に感じた虚無感は今は感じない。
俺はゴミだ、バイ菌だと言われていた。
「早く死んでください。Byクラス一同」と書かれた色紙をもらったことがある。
一番悲しい思い出は修学旅行での班を作る時、誰も俺を仲間に入れてくれなかった。
そして俺は学校に二度と行けなくなった。
日本から海外に避難したんだ。
そして恐る恐る行ったインターナショナルハイスクールで予想に反して、生まれてはじめて友達ができた。
大学では人間の彼女ができた。
「お前には猿の彼女しかできないな!!」
そんなことを言われていたことを思いだして、吹き出した。
暴れるのにはわけがある。
こんなに大変な目に遭っているのに、両親は何もしてくれない。
何も気づいてくれない。
返ってくる言葉はトンチンカンチントンチンカン。
一番わかって欲しいおかあさんにわかってもらえない悲しさ、寂しさは増していくばかり。
それどころか、俺が学校に行かないことで、おかあさんが悩み苦しんでいる姿に、自己嫌悪。
「暴力に訴えるのではなく、言葉で言えばいいんだよ。」
したり顔で、優しく話すカウンセラー。
その微笑がえしに無力感増大。
俺は暴れなくなった。
それどころか、怒ることさえなくなった。
変わったんだ。
「気持ちをコントロールする練習をしましょう。」と言ってくれた、病院の人。
そうなんだ、俺は気持ちをコントロールすることができるまでに変わったんだ。
変えてもらったという方が正しいな。
それどころか、俺は母親を許すことができた。
愛という名のもとに、子どもである俺にした数々の暴力や暴言。
それらを許した?
いや、許したという程度ではないな。
そうせざるをえなかった母親という存在を受け入れることができたんだ。
無条件でね。
母親から許しをこうようなことがなくても、俺はいっさいがさいを受け入れることができたんだから。
それが今の俺。
正直、10数年前の俺が暴れていたことを思い出せなくなってきている。
警察に何度お世話になったのか。
そのことも忘れかけている。
僕は家庭内暴力から解放された。
そして新しく生まれ変わったかのようだ。
そこまでくるのに13年間の支援を受けた。
それもあり得ないような豪華版の支援なんです。
マンツーマンの24時間支援。
それくらいしないと、俺は変わらなかった。
それがなければ、今頃は確実に塀の中にいるはずだ。
家庭内暴力の状況も各家庭でそれぞれだ。
一概にこうすれば家庭内暴力がなくなるなんていうものは残念ながらない。
でも経験者として言えることはある。
これ以上おたがいに傷つかないために、どうか親と子の距離を置いてください。
そして、お子さんのメンターを探してあげてください。
いつかおたがいが歩み寄れるときがくることを期待していいんです。
僕みたいにひどい状況になってしまうと、もうご両親でなんとかしようなんて考えても無理だと思いませんか。
これでぼくはもう家庭内暴力のことを書く必要がなくなりました。
今まで長い間、同じような内容にお付き合いくださいました、ブログを読んでくださっている皆さま。
そして、ヒルマさん。
最後にいつもそばにいて、盤石な支援体制を24時間でフルサポートしてくれている、サポートセンターのスタッフたちにお礼を言います。
たくさんの人たちに禿げ増されて僕も禿げも感謝いたします。
ぼくは禿げてはいない。
白髪になるタイプなんだな。
また明日から一生懸命違う話題でブログを書きますんでどうぞよろしくお願いします。
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