

僕には内緒で母親は色々なところに助けを求めてくれていました。
僕に言うと、プレッシャーになると心配していたから内緒だったのです。
僕の自立が決まった時にそのことを聞くと「忘れてしまったよ。あの時のことはあまり思いだしたくない。」と母は言いました。
「お母さんのその時の気持ちや何を考えて行動したのかを僕が他の人に伝えることはとても大切なことだと思う。」と母親に言ったのです。
今ではそんな話題を出してももう大丈夫ですが、やはり小学校から22歳まで家でじっとしている息子を見続けていた母の気持ちは大変だったんだと、感謝な気持ちと申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
このままでは息子はダメになってしまう。
なんとかしないとと母は必死でした。
そんな母だったから、方位学や色彩学や宗教に手を出してしまったんだと理解はできます。
支援団体に連絡して、その代表の方にお会いして話を聞き続けてくれた母。
僕の母は日本中のひきこもり支援団体に伺っていると思います。
ひきこもりから自立した人たちの講演会に参加するために、東へ西へ奔走した僕の母。
ひきこもり支援で有名な医師の講演会に参加後、控え室に突撃して講師に助けを求めて、追い出された母。
保健所に赴いて、泣きながら助けを求めた僕の母。
本人の僕が病院に行けない変わりに、受診してくれた母。
決して諦めなかった僕の母です。
「私が諦めたら、お前の人生がダメになってしまう。だから私は必死だった。」と母はその当時を思い出して泣きながら話してくれました。
そんな母の思いが叶う時が来るのです。
まあ、紆余曲折がありましたけれど、支援先を見つけてくれた僕の母です。
小学校から22歳までおよそ15年間引きこもっていた僕がこうして自立できるまでには大変な時間と決してあきらめないという強い信念を携えた支援、そして様々な体験を通して関わってくれた多くの人たちとそれに伴う費用があってこそなのです。
不登校の僕に親がしてくれた3つ目のことは、支援先を探してくれたことです。
僕が社会に戻って自立した道を歩むためには、僕専属の伴走者が必要でした。
それが、青木さんや東大さんたちでした。
彼らは僕のメンターでもあったのです。
僕は今幸せです。
母も自分が願ったことが叶ったことで、人生で1番大きな問題を乗り越えたことに深い安堵の気持ちで満たされていると言っていました。
諦めないでください。
30年ひきこもった東大さん、エイジさんも社会に戻る為に毎日必死にやってきました。
ひきこもりから回復した2人は今幸せだと言っています。
必ず道は開けます。
諦めない限り。
一般社団法人 青年生活教育支援センター
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