今まで青木さんと話していた。
昨日事務所に忘れ物を取りに行ったら青木さんがいたからびっくりした。
ある人の支援でずーっと寄り添っているらしい。
今日はその人が家族とほんの少し和解して家に帰られることになったんで、青木さんは朝から事務所で仕事をしていた。
午前中は1組の相談があったんよ。
僕は別室におったんよ。
終わってからお昼に行きませんかって聞いたら、すぐにまた相談があるから、買ってあったおにぎりを一緒に食べようとなったんよ。
本当は人生最初のアルバイトで入ったお金を何に使うかと考えておったんよ。
お世話になった青木さんにご馳走するのはとてもいいことだと思ったから、誘ったんやけどね。
「ありがとうね」と青木さんが言ってくれた。
それだけでもういいやと思ったんよ。
一方的な僕のはなしばかりやった。
いろいろと話しとったら事務所の電話が鳴った。
相談の電話やった。
「お母さん、大丈夫ですよ」
「ここは笑顔になれんやろうけど子供はお母さんの笑顔を見て安心するんです」
その会話を聞いていたら、もう少しで涙が落ちそうになったから嫌なことを思い出して耐えた。
今日一日だけでも3組の相談があったんよ。
元日はないと思ったら、2組の相談があるんやって。
支援に休みはないんや。
これを書いている今は午後9時。
暴力にはどうすればいいかの答えを書かなければいけない。
青木さんに聞いて答えを書いたろうと思ったんやけど。
「どうしたらいいんやろ」と青木さんが言った。
「なんで大統領は暴れたの」
「イライラしたから暴れたんよ」
「なんでイライラしたの」
「このまま同じ生活がずーっと続いて、僕だけがみんなから取り残されると思ったから」
「今はイライラしないの」
「イライラするけれどイライラの中身が違うな」
「中身が違うのか」
「話を元に戻すけれど、どうすればいいんや」
「青木さんはたくさんの人たちの支援をしてきたけど、どうしてるの」
「みんな一人一人違うから個別支援なんだ」
「希望を伝える」
「希望は語るものではなく見せるものだ」と青木さんはよく言うよね。
「答えでたね。希望を見せる」
「だからどういう風に語ればいいの」
「サポートセンター名古屋のことをはなせばいいんじゃないの」
「ここには希望があるからね」
「東大卒業後30年引きこもりました。家族以外誰とも会っていません。今は大学にもう一度行って先生になります」
「これこそ希望じゃないのかな」
「いじめられて傷ついて16歳でも二桁の計算できなくて、家族から離されて、絶望の挙句自殺未遂、海外のボランテイアで一人の子供からのありがとうの一言でもう一度やり直したいと思ったヒロさんの話」
「そんな人たちがいるんだ。」
「お前の助けになってくれる。」
「余計なお節介かもしれんかがお父さん、調べてみる」
「でいいんじゃないのかな。」
「何かを言うんじゃなくて、余計なことを言わない。」
「これに尽きるでしょ。」
「カウンセラーを登場させてはいけないな。」
「でも登場させてしまう人が多いだろうな。」
「カウンセラーには解決できないよな。」
「仕方がないことだよ。」
「誰も責められない。」
「あっ、今日ホテルを予約してあるわ。」
「今からホテルに移動するは。」
「事務所は寒くて寝られないからね。」
「じゃあ、また来年、良いお年を。」
そう言って青木さんは名古屋の夜に消えていった。
一年間どうもありがとうごさいました。
スタッフさん、そしてブログを読んでくださった皆さん。
コメントをくださった皆さん。
何と僕が関西訛りを言わなくても書けた今日は記念日です。
青木さんに会って前向きな気持ちにさせてもらったからやと思う。
ではまた来年。
さようなら。
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