発達障害な僕たちから2

発達障害と診断され、2次障害でひきこもった東大、青木、シンゴと50代男Aとスタッフ吉村が社会復帰目指す日常を綴りながら支援についても書いていきます。

ADHDの彼らとASDの僕 その② 東大





 

発達障害の大きな問題は、僕たちの様な他人に関心を持つことができない人たちが抱える問題ではないかと思うのです。

 

 

ADHDの特性を持つ人たちが抱える問題が、昔からよくクローズアップされていましたが、今は以前ほど取り上げられなくなった気がします。

 

 

どの様にすれば、ADHDの特性を持つ人たちが快適に暮らせるようになるかを支援の現場で考られています。

その成果が徐々に世の中に浸透して来ているのではないかと考えます。

 

以前は〈片づけられない人〉という言葉がよく飛び交っていましたが、今では工夫でなんとかなるというところまで来ていると思います。

僕も、全く片付けることができなかった人間ですが、片付けの決め事を守ることで、僕の部屋は汚部屋ではなくなりました。

 

 

ADHDが殊更に問題として取り上げられなくなる日もそんなに遠くはないと思います。

 

 

その一方、僕の様な特性を持つASDの人たちが抱える問題は、今の状況では、社会に受け入れられるにはまだまだ時間がかかると思います。

 

 

他人に関心がないわけですから、協調性もなければ、気配りも、思いやりの気持ちを他人に表すことがとても苦手なわけです。

 

 

ですから、他人との関わり合いの中で、トラブルが発生してしまうのです。

大勢の中に放り込まれてしまうと、たちまち周りの反発を買ってしまう僕です。

 

 

そんな僕はこの社会の中でどうすれば良いのでょうか?

誰も僕にそのことを教えてくれずに、僕はただ戸惑い、この社会と一定の距離を保つために自宅にひきこもったのです。

 

 

 

30年近く僕は自宅にひきこもってしまいました。

他人が怖くて仕方がなかったのです。

 

 

そんな僕をみんなとうまく関われる様にと孤軍奮闘した支援者の青木です。

知識として発達障害のことを学んできた青木です。

家族のような関わり合いの中で、1000人近くの人たちの支援を30年間、行ってきました。

その中にはもちろんASDとの診断が降りていた人たちも大勢いました。

 

 

それでも僕のことをなかなか理解することができずに、日々疑問を感じながらの支援活動だったと思います。

 

それほど僕の存在はあり得ないほどのケースだったのでしょう。

 

支援が3年目に入ろうとするころに、ようやく青木は僕の状況を把握することができたそうです。

何が苦手で、何が得意なのか?

 

それがわかって初めて、僕にフィットした支援が提供されたのです。

 

 

日常生活の中で起きる日々の僕の問題は、青木が学んだその知識をはるかに凌駕していたのです

 

 

 

 

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